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ブータンの風景(1) − ブータン王国 2011.05〜12
 (写真はN氏の提供によります)

ブータン国王ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク陛下 − 画像は、Wikipedia(作者:Royal Family of Bhutan)より
国民の心理的な幸せなどを指標とする『国民総幸福量』(GNH)を重視する国として知られるブータン王国の若き国王(31歳)が、結婚のわずか1ヶ月後、最初の外遊いわば新婚旅行先に選んだのが日本でした。2011年11月17日国会で演説し、東日本大震災について『いかなる国の国民も決してこのような苦難を経験すべきではありません。しかし仮にこのような不幸からより強く、より大きく立ち上がれる国があるとすれば、それは日本と日本国民であります。私はそう確信しています。』と語り、 ブータンの言葉『ゾンカ』で祈りを捧げました。幸せ指標に生きるブータンに一度行ってみたいという思いが込み上げてくる一方で、ブータンへの旅行は制約があってどうも大変そうだと知るのでした。そんな折、N氏から写真を提供して頂きました。ここに、このような形で二報にわたってページをつくり、ブータンの風景を案内させて頂くことにしました。その第1報です。Nさん、ありがとうございました。
 ワシモ(WaShimo)/2012.01.10 
ブータン国王ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク陛下 2011年10月平民の女性ヅェチェンさんと結婚。結婚後の最初の外遊で王妃とともに同年11月日本を訪問。国賓として待遇を受けたあと、慶應義塾大学と衆議院本会議場で演説。東日本大震災の被災地のひとつ福島県を訪問、さらに京都を訪問し金閣寺を参拝。

 
 ブータンの風景
Snow_mt3 首都から車でおよそ40分ほど登ったドチュラからの北ヒマラヤ連峰。手前は、チョルテン(Chorten=仏塔)
   
 ブータンについて
(以下、 『ブータン−Wikipedia』より部分転載し、一部編集および加筆)
〔概要〕ブータン王国(通称ブータン)は、南アジアにある国家。インドと中国にはさまれている、世界で唯一チベット仏教(ドュク・カギュ派)が定着している国であり、公用語はゾンカ。首都はティンプー。国土面積は九州の0.9倍。人口は約70万人。
Snow_mt2 同じくドチュラ(ラ=峠)から
急速な近代化(欧米化)のなかで、近代化の速度をコントロールしつつ、文化大革命に端を発する中国の進出で領土の1割を事実上喪失し、内陸の農村部に強い影響を受けた政治的立場や、全体主義的な伝統を維持しようとする政治に世界的な注目が集まっている。
Mt_zoomup 左手のピークが、ガサの奥地ラヤのMasangang(7194m)、ブータンヒマラヤと呼ばれた山々は、3年前の国境策定交渉で大半が中国領となった。
前国王が提唱した国民総生産にかわる『国民総幸福量』 (GNH) という概念、さまざまな環境政策、伝統文化保持のための国民に対する民族衣装着用の強制などが、近年のスローライフなどのキーワードと組み合わされて語られる場合も多い。
 Gaselo ウォンディボタンからチラン方向に向かって右手の山にあるガセロ村からの遠望。
〔宗教〕仏教は、憲法上は国の宗教ではなく、信教は自由とされている。2011年4月からは、キリスト教布教が認められたようである(それまでは、キリスト教を信じることは、自由だったが、布教はできまなかった)。しかし、90%以上は仏教徒だと言われている。宗派は、ドュク・カギュ派(国の保護あり)、ニンマ派(檀家があり、妻帯が認められる)の他にもあるようだが、この2つの勢力が大きいと言われている。
On the way to Talo 4代国王の4人の王妃の里、プナカのタロへ向かう途中。稲の刈取りは10月から11月。
〔地理〕東西南をインドと、北を中華人民共和国のチベット自治区と接している。中華人民共和国との国境の大部分はヒマラヤ山脈の上を走っており、国境線が確定していない部分が多く、国境画定交渉が現在も進められている。ブータンの国土の面積は約38,400km2で、九州の0.9倍(中国に切り取られる前は、1.1倍)の広さ。
Trashi_Yangtse 東ブータン、タシヤンチェのチョルテンコラ。チベット伝来の仏塔。幻の蝶は、この奥地に生息。
〔気候〕ヒマラヤ山脈南麓に位置し、国土の標高差が南部の100mから北部の7,561mにわたっている。標高3,000m以上の北部ヒマラヤ山脈の高山・ツンドラ気候、標高1,200mから3,000mの中部のモンスーン気候、標高1,200m未満の南部タライ平原の亜熱帯性気候が並存する。
Ura_village 中部ブータン、ブムタンからモンガルへの途中にあるウラ村のラカン(Lhakhang=お寺)
〔政治〕1907年のワンチュク朝成立以降、国王を中心とする絶対君主制だったが、近年の政治改革により2008年に憲法が公布され、民選首相が選出されるなど立憲君主制に移行した。国王退位は、国会が決議すれば、できるという条項を先代(4代)が作った。国会は国王不信任決議の権限を持ち、国王65歳定年制が採用されている。
Tashigang 東ブータン、タシガン(Trashigang)ゾン
〔地方の行政区域〕20の県(ゾンカク)に分かれている。各県の県庁には基本的にゾン(城砦)があり、聖俗両方の中心地(行政機構、司法機関及び僧院)として機能している。ゾンカクはドゥンカク(郡、Dungkhag)とゲオク(村、Gewog)という行政単位によって構成されている。2002年時点で、全国に16のドゥンカク、201のゲオクがある。なお、ラカン(Lhakhang=寺院)に対して、寺院と県庁が同居したものをゾン(Dzong)といいます。
Taktshang_Paro ブータンの聖地のひとつ、パロのタクツアン僧院。下から約2時間弱歩きます。
〔軍隊〕志願制で総兵力は約1万人(ブータン王国軍約7,000人、うちブータン国王親衛隊約2,000人。ほかに警察部隊約1,000人)。陸軍の装備品は迫撃砲等の小火器が主体である。内陸国ゆえに海軍は存在せず、空軍も編成されていない。保有している航空機8機のみである。国内にインドの軍事顧問団と陸軍部隊が駐留している。
Punakha Dzong Aug 03 プナカゾンの全景。国王が最初に結婚式をしたところ。2日後、首都のタシチョゾンでも。
〔経済〕主要産業はGDP(国内総生産)の約35%を占める農業(米、麦など、林業も含む)だが、最大の輸出商品は電力である。国土がヒマラヤの斜面にあることをいかし、豊富な水力による発電を行い、インドに電力を売却することにより外貨を得ている。輸出品は電力、珪素鉄、非鉄金属、金属製品、セメントなどで、輸入品は高速ディーゼル、ポリマー、石油、米など。2007年統計では貿易総額は輸出入合わせて約10億ドルで貿易収支は若干黒字。
Punakha Dzong Aug 03 ゾン内に入る時の女性の正装(上着はテゴ、下半身がハーフ・キラ、左肩からかけているのがラチュ)
〔観光〕観光業は有望だが、文化・自然保護の観点からハイエンドに特化した観光政策を進めており、高級ホテルの誘致に成功した。外国人観光客の入国は制限されており、かならず旅行会社を通し、旅行代金として入国1日につき200米ドル以上(交通費、宿泊代、食事代、ガイド代を含む)を前払いし、ガイドが同行する必要がある。
Thimphu Trashichhoe Dzong tsechu 1 ツェチュ(お祭り)では、仏教をわかりやすく教えるために踊り、劇などが披露されます。
〔国民総幸福量〕1960年代から進んだブータン国の第1〜2次五カ年計画により、『幸福こそ人のそして国家の究極の目標』とし、ワンチュク国王が1972年にその概念を生み出した。4つの大きな柱からなる国民総幸福量、いわゆる幸せの指標、GNH(Gross National Happiness)により、『世界一幸せな国ブータン』として注目されている。
Thimphu Trashichhoe Dzong tsechu 2 お面の口から前方が見えます。それぞれのお面は違います。
〔農業〕ブータン経済において農業は非常に重要な基幹産業である。1990年時点では労働人口の9割が自給的な農業、もしくは放牧業に従事していた。国内総生産においても農業部門が43%(1991年)を占めていた。平原であるわずかな低地部ではコメが、国土の50%を超える山岳部では果樹などが栽培されている。
Thimphu Dechenphu Lhakhang tsechu 首都近郊のお寺のツェチュ。踊っているのは、すべて僧侶。
ブータン農業は自家消費が目的であり、自給率はほぼ100%だった。例外は輸出が可能な果樹、原木である。厳しい地形に阻まれて農地の拡大は望めず、小規模な農地が大半を占めるため、土地生産性が改善されない。そのため、ブータン農業は生産能力が向上しないという問題点がある。
  
Punakha Dzong
プナカゾン内での宗教行事 ドゥプチェ(Dromche)。近隣の人々が集まり、高僧から杖で頭をコツンとやってもらいます。 写真は、固い砂糖菓子をちぎりながら、ふるまっているところ。
〔文化〕ブータンは、気候・植生が日本とよく似ている上に、仏教文化の背景も持ち合わせており、日本人の郷愁を誘う場合も多い。これはモンスーン気候に代表される照葉樹林地帯(ヒマラヤ山麓〜雲南〜江南〜台湾〜日本)に属しているためで、一帯では類似の文化的特徴をみいだすことができる。
Punakha_Highschool_std 同じく、ドゥプチェ(Dromche)の日に来ていた女生徒の制服とその正装(左肩にラチュ)
〔風俗〕ブータンの男性の民族衣装「ゴ」は日本の丹前やどてらに形状が類似していることから、呉服との関連を指摘する俗説もあるが、『ゴ』の起源は中央アジアとされており、日本の呉服とは起源が異なる。男性の民族衣装がチベット系統であるのに対して、女性の民族衣装『キラ』は巻き衣の形式を取り、インド・アッサム色が濃い。北から流入したチベット系文化と元来存在した照葉樹林文化が混在しているといえる。
DSC03149 人の背丈以上あるポインセチア
伝統的な競技としては国技の弓術が代表的である。子供はダーツのような『クル』、石投げなどで遊ぶ。武器の扱えない僧侶は石投げに興じることが多いが、近年では聖俗問わずサッカー人気も高い。特に、サッカーや格闘技は、ケーブルテレビの普及以降、爆発的に人気を獲得した。
DSC03138 ヒマラヤ桜、11月下旬から12月はじめが見ごろ
〔教育〕ブータンの大学は、エリート養成校としては、(RUB:王立ブータン大学(RUB:The Royal University of Bhutan)が唯一の大学であるが、他にも4年制の大学がある。主なものとして、PCE:教員養成大学(パロー)、SCE:教員養成大学(サムチェ)、CST:科学技術大学(チュカ(プンツォリン))、 NITM:伝統医者養成大学(薬学研究もする)(ティンプ)など(()内は所在地名)。ティンプー--> NITM 伝統医者養成大学(薬学研究もします)
Buckwheat in Bumthang 中部ブータンの中心地、ブムタン近郊のソバ畑。畑一面にピンクの花を咲かせています。
 
編集後記
ブータンの貴重な写真の珍しい風景に感動するとともに、このページの下から3枚目の写真に驚いたのでした。写っているのは確かにポインセチアです。ポインセチアはメキシコ原産の亜熱帯植物ですから、野生のものが天に向って背高く伸びている風景は、日本国内では奄美諸島でしか見ることができない風景です。なのに、ヒマラヤ山脈の山ひだにあるブータンになぜポインセチアが、と驚いたのでした。調べてみると、国土の標高が南部が100mであれば北部は7500m級にも達するという標高差があり、国土内に、高山・ツンドラ気候からモンスーン気候そして亜熱帯性気候までが並存している、と知って納得したのでした。上の写真の下から一番目や二番目の写真も、日本人にとって違和感のない、モンスーン気候の風景のように見受けられます。民族衣装も着物に似ていますし、90%が仏教徒であるなど、親近感が感じられるところがたくさんあるような気がします(作家・五木寛之氏も最初はそう感じた、がやがて、同じ仏教の姿が、これほどちがうものか、と衝撃を受けた、と著書『21世紀仏教の旅・ブータン編』(講談社)に書いています)。来日したブータン国王の国会演説にはまた次のようにもありました。『国民は常に日本に強い愛着の心を持ち、何十年ものあいだ偉大な日本の成功を心情的に分かちあってまいりました。3月の壊滅的な地震と津波のあと、ブータンの至るところで大勢のブータン人が寺院や僧院を訪れ、日本国民になぐさめと支えを与えようと、供養のための灯明を捧げつつ、ささやかながらも心のこもった勤めを行うのを目にし、私は深く心を動かされました。』と。これからのブータンに興味を持ち続けたいと思います。
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