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旅行記 ・ベブがハホ(狭野神社 苗代田祭り)− 宮崎県西諸県郡高原町 2012.02.18
 
ベブがハホ(苗代田祭り
狭野神社(さのじんじゃ)は、神武天皇を主祭神とする神社です。 
南九州には、
その年の五穀豊穣を祈願する農耕の春祭りである、いわゆる予祝の田遊び神事が
広く分布しています。
「一の田人」「二の田人」「三の田人」が、それぞれ神歌を唱えます。
いずれの祭りも、神社の境内や広場を田んぼに見立て、
作り物の牛を使ったり、あるいは人間が牛に扮して、田打ちから代掻き、種まきあるいは田植えまでの
ストーリーをユーモラスに演じる、という共通点があります。
10人ほどの田人が、鍬に見立てた木の棒を持って登場。 
宮崎県『ひむか神話街道』の南端に位置する
西諸県郡(にしもろかたぐん)高原町(たかはらちょう)にある狭野神社(さのじんじゃ)は、
神日本磐余彦天皇(神武天皇)を主祭神とする神社です。
田打ちや土手のモグラ穴を見つける所作をして回ります。  
神武天皇は、
幼き頃に『狭野尊』(サノノミコト)と名乗っていました。狭野神社の社名は
神武天皇の幼名に因んでいます。
鍬の先端で足を引っ掛けて他の田人を転がします。 
この狭野神社で
毎年2月18日に行われる『苗代田祭り』(なわしろだまつり)は、
500年の歴史を有する予祝の神事です。
観客席にも意地悪をしに行きます。  
この『苗代田祭り』は、
土地の人のいう『ベブがハホ』の名で知られています。『ベブ』は牛、
『ハホ』は身重(みおも)の主婦を表す方言です。
j世相や時事問題などを取り上げ、面白く可笑しく話しを進める上下男(カシタデカン)。 
祭りは、田んぼに見立てた境内の
お祓いから始まり、次に、「一の田人」「二の田人」「三の田人」が、三歩進み三歩下がる所作で
順番に登場し「ミトウド」と唱え、神歌を唱えます。
登場の遅い親方を待ち切れず、呼びに行く上下男(カシタデカン)。  
それが終わると顔に炭を塗った
10人ほどの田人が出てきます。手には、鍬(くわ)に見立てた、その先に枝の
引っかかりのある木の棒を持っています。
 やっと親方(太郎次)が登場。
その棒で他の田人や観客の足をすくって倒したりします。
出てきた田人は、田打ちや土手にモグラ穴などがないか調べる所作を可笑しく面白く演じながら、
上下男(カシタデカン)が出てくるのを待ちます。
つぎに、下下男(シタデカン)が観客に悪戯をしながらが登場。 
やっと出てきた上下男は、新燃岳の噴火被害からの
復興やTPP(環太平洋パートナーシップ協定)問題など、昨今の世相や時事問題を取り上げながら、
即興で面白可笑しく話を進めます。
下下男(シタデカン)が持って登場したのは、馬鍬(まぐわ)。
つぎに、太郎次という親方が登場します。
親方は、”上とおまるに4千町歩、中とおまるに4千町歩、下とおまるに4千町歩、合わせて1万2千町歩もあれば、
見回りして遅うなってしまった”と、登場が遅れた理由などを述べます。
あちこちに女房がおれば・・・と、遅れた弁解をする下下男(シタデカン)。 
次に、
下下男(シタデカン)が登場。馬鍬(まぐわ)を持ち、棒の先で観客の足を
すくう悪戯をしながら登場します。
親方、上下男(カシタデカン)、下下男(シタデカン)が揃いました。
下下男は、”あちこちに女房がおれば、
夜もあちこち寄り道せねばならず、寝不足で登場するのが遅れてしまった”
などと述べて、観客の笑いを誘います。
いよいよ、お待ちかねのベブ(牛)の登場です。 
親方、上下男、下下男が
揃ったところで、下下男が牛方を呼び、いよいよお待ちかねのベブ(牛)の登場です。
5人の牛方が木彫りの牛を引いて登場します。
暴れ牛をなんとか御して、代掻き(しろかき)が進行します。
登場したベブは、木彫りの牛を
台車に載せたもの。現在使用している木牛は昭和10年(1935年)代に
作成されたもののようです。
馬鍬を引かせて代掻き。祭りはクライマックスへ。 
馬鍬(まぐわ)を引かせながら、
代掻き(しろかき)の様子を面白く可笑しく演じてみせます。牛は暴れ牛。暴れ牛をどうにかこうにか
御しながら、代掻きを進め、祭りはクライマックスへ。
代掻きが終わって、つぎは種籾(もみ)まきへ。
代掻きが終わり、牛方が退場すると、
出産間近の身重のコジュドン(親方の奥さんの意味)、すなわち『ハホ』が、種籾(もみ)を入れた
折敷(三方)を頭に載せて登場します。
出産間近の『ハホ』が、種籾を入れた折敷を頭に載せて登場。 
続いて、神官が登場し、向かい合って神歌を唱えます。
『稲倉嶽より千把の稲を刈りおろし、こいだりついたり、かまかったり遅うなり候』
(ハホの神歌)
神官が登場しハホと向かい合い、それぞれ神歌を唱えます。
ハホの神歌のあと、神官が神歌を唱えます。
『風吹きて 御袖に空は さわぐとも わが蒔く種は よもやさわがじ』
(神官の神歌)
神官がハホから折敷を受け取り、種籾をまきます。 
神官がハホから折敷を受け取り、
中に入っている種籾をまきます。最後に、太鼓と笛に合わせて一同が踊りながら
場内を廻って退場して終了となります。
太鼓と笛に合わせて一同が踊りながら場内を廻って退場し、祭りは終わります。 
最後に、今年は
新燃岳の沈静化を願って餅まきがあり、参拝者には縁起物の米とみそが配られ、
祭りはお開きとなりました。
 編集後記
『狭野神社』(さのじんじゃ)は、神日本磐余彦天皇(神武天皇)を主祭神とし、吾平津姫命(御后)・天津彦火瓊瓊々杵尊(御曾祖父)・木花開耶姫命(御曾祖母)などを配祀する神社です。孝昭天皇の時代、神武天皇が誕生した地(高千穂峰の麓の皇子原)に創建されたと伝えられます。その後、西暦700〜1000年の間、数度にわたる霧島山の噴火により社殿の焼失と遷座を繰り返し、現在地に遷座したのは慶長15年(1610年)のことでした。この頃より薩摩藩主島津氏の崇敬を受け、社殿の改築・社領の寄進などが行われました。霧島六所権現(狭野神社、霧島神宮、霧島東神社、東霧島神社、霧島峯神社、夷守神社)の一つとして、いにしえより人々の篤い崇敬をうけています。
狭野神社の西南約10kmのところにそびえる高千穂峰(中央左)
霧島山・新燃岳(しんもえ)岳が爆発的噴火を起こしたのは昨年(2011年)1月26日のことでした。新燃岳から約10km東に位置する高原町などでは火山灰が降り、住民生活に支障が出たり、降り積もった灰で畑の野菜が収穫できなくなるなど深刻な被害がでました。そのため、狭野神社のある地区も立入禁止となり、昨年の『ベブがハホ』は中止になりました。新燃岳は享保元年(1716年)にも大噴火を起こしており、そのときも祭りは中止されました。昨年の中止は実に295年振りということですから、歴史の深さが感じられます。今年は、祭りの最後に、新燃岳の鎮静化を祈願して餅がまかれました。祈願が叶ってこのまま静かであってくれることと思います。    

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