♪シチリニアーノ(バッハ)
Piano1001



旅行記 ・化野念仏寺 − 京都市  2008.09
 化野念仏寺
念仏寺の入口門をくぐってすぐ、やわらかい苔筵の上に鎮座する小さな小さな石仏、『石の阿弥陀三尊』
陰影越しに賽の河原を望む
あがし野は化野と記します。
『あだし』とは、はかない、むなしいとの意で、
また、『化』の字は『生』が
化して『死』となり、
この世に再び生まれ化ることや、
極楽浄土に往生する願いなどを
意図しています。
 
この地は古来より葬送の地で、
初めは風葬であったが、後世土葬となり
人々が石仏を奉り、永遠の別離を
悲しんだ所といわれます。
      化野(あだしの)念仏寺
 
寺伝によれば、
化野の地にお寺が建立されたのは、
約千百年前、弘法大師(空海)が
五智山如来寺を開設され、
野ざらしになっていた
遺骸を埋葬したのに始まると
されます。
その後、法然上人の常念仏道場となり、
念仏寺となりました。
本尊阿弥陀仏座像は湛慶の作、
参道の釈迦・弥陀二尊の石仏とともに
鎌倉彫刻の秀作とされています。
 
賽の河原(外)の風景
みず子地蔵尊
 
        みず子地蔵尊
 
竹林と多聞塀を背景に、茅屋根の
小さなお堂は、この世の光は
もとより母親の顔すら見ることもなく
露と消えた『みず子』の
霊を供養するみず子地蔵尊で、
毎月お地蔵様の縁日には、
本堂にみず子地蔵尊画像を
おまつりします。
境内にまつる8,000体を数える石仏・石塔は、往古あだし野一帯に葬られた人々のお墓です。何百年という歳月を経て無縁仏と化し、あだし野の山野に散乱埋没していた石仏を明治中期、地元の人々の協力を得て集め、釈尊宝塔説法を聴く人々になぞらえ配列安祀してあります。
 
この無縁仏の霊にローソクをお供えする『千灯供養』は、毎年地蔵盆(8月23・24日)の夕刻より行なわれ、光と闇と石仏が織りなす光景は浄土具現の感があり、多くの参詣があるそうです。
本堂前の延命地蔵堂
賽の河原の風景
これも小さな小さな石仏
 
あだし野の露が消えることもなく、鳥部山の煙が立ち去ることもなければ、すなわち、人間がいつまでも死なない存在であるならば、もののあわれ(無常観)など有りはしないであろう。世は、無常ゆえによいのである。命あるものを見るに、人間ほど長生きなものはない。蜻蛉(かげろう)は朝に生れて夕べに死に、夏の蝉は秋を知らないほどに短命だ。しみじみと一年を暮らせば、おだやかな時間が過ぎていくが、逆に命を惜しいと思って生きれば、千年生きてもなお一夜の夢のごとくに思われるにすぎないだろう。
 
            無常観
 
あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の煙立ち去らでのみ住み果つる習ひならば、いかにもののあはれもなからん。世は定めなきこそいみじけれ。命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。かげろふの夕べを待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年を暮すほどだにも、こよなうのどけしや。飽かず、惜しと思はば、千年を過すとも、一夜の夢の心地こそせめ。
〜『徒然草』(吉田兼好)・第7段〜
 
延命地蔵堂
寺の周辺から集められた8,000体もの石仏や石塔が配列安祀してあります。
【参考】説明文は、化野念仏寺に入山拝観時に頂いたパンフレットから引用して書きました。
 嵯峨鳥居本
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