レポート | ・東郷の島津歳久及び殉死者の供養塔 |
− 東郷の島津歳久及び殉死者の供養塔 −
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島津義久・義弘の弟、島津歳久は豊臣秀吉に徹底して反骨を見せますが、ついに秀吉の怒りを買い、秀吉の命によって兄・義久の追討を受け、文禄元年(1592年)竜ヶ水(鹿児島市吉野町)で自害、享年56歳でした。 そのとき、27名の家臣が殉死しました。秀吉の亡き直後の慶長4年(1599年)に、歳久公自刃の地に島津義久によって建立された曹洞宗の菩提寺・心岳寺は、明治2年の廃仏毀釈によって平松神社となり現在に至っています。神社裏に殉死者27名の墓が建てられています。 その島津歳久公と殉死者の供養塔が、薩摩川内市東郷町田海の天沢寺跡にあるのです。歳久公が東郷の領主になったことは一度もないのに、なぜ東郷に堂々たる供養塔があるのか調べてみました。 結論を言えば、日置島津家第4代当主・島津久慶が大村(現薩摩川内市祁答院町)から東郷に領地替えになった際に、家臣として東郷に移り住んだ、歳久公殉死者の遺族が建立したものでした。その経緯を知るには、東郷および日置島津家の歴史を紐解く必要があります。 §1 東郷(現薩摩川内市東郷町) 鎌倉時代、東京の渋谷一帯を治めていた渋谷光重は、宝治元年(1247年)の合戦の恩賞として、北薩摩の祁答院・東郷・鶴田・入来院・高城の穀倉地一帯の地頭職を与えられると、次男以下5人の男子をそれぞれの地に下向させました。 東郷は次男の実重が下向し、やがてその地名を名乗ったのが始まりとされます。室町時代に入ると東郷氏は島津氏と争い、永禄12年(1569年)第16代東郷重尚の時に島津氏に降伏、重尚は東郷の地のみを安堵され、以後は島津家臣となりました。 天正14年(1586年)東郷氏は断絶、宮之城島津家の島津忠長(島津忠良(日新斎)の子・尚久の嫡男)が東郷領主となります。慶長19年(1614)年に忠長の次男・久元が宮之城に移ると、東郷の大半が島津氏直轄地に、一部が宮之城島津家領となりました。 §2 天沢寺跡 応永年間(1394年〜1428年)に、東郷氏の第8代当主・東郷重元の菩提を弔うため、曹洞宗寺院『重元寺』として一岳洞忍和尚が開山。その後、天正年間(1573年〜1592年)に『雲秀寺』と改め、島津尚久の菩提寺となります。 更に寛永年間(1624年〜1644年)に『天沢寺』と改め、島津常久の菩提寺となりましたが、明治2年の廃仏毀釈により寺院は破壊され、現在は墓石や仁王像などが残っているだけです。一対の仁王像には『寛政五葵丑年』(1793年)と刻まれています。 §3 日置島津家 島津歳久公自害の報に接した歳久夫人と歳久長女は、この処分を不服とし、薩州家出身の島津忠隣(その時すでに戦死)と歳久長女の子、つまり、歳久公の外孫・島津常久を擁して虎居城(現鹿児島県さつま町)に籠城しました。 約1ヶ月の籠城の末、常久成人の際に旧領を回復するとの条件で開城に至り、歳久夫人らは入来院重時与かりとなり、清色城(現薩摩川内市入来町)に住みました。常久は成人後日置領を賜り、島津歳久公を初代当主、忠隣を第2代当主、自らを第3代当主とし、日置島津家が成立しました。 寛永10年(1633年)に、日置島津家の第4代当・主島津久慶(島津歳久の孫・常久の長男)が大村(現薩摩川内市祁答院町)から東郷に移ると、東郷は日置島津家私領地になりましたが、延宝8年(1680年)に第6代当主・島津家久竹(忠竹)は日置への復帰を願い出てます。 久竹の日置への復帰が許されると、東郷の8ヶ村(田海、白浜、斧淵、宍野、鳥丸、藤川、南瀬、山田)が再び直轄地となります。日置は東郷より領地が少なかったため家臣のすべてが移り住むことができず、家臣 212人、次男三男 560人余りが郷士として東郷にとどまりました。 §4 島津歳久及び殉死者の供養塔 大村から東郷に移る際、島津久慶は歳久公殉死者の遺族を家臣として伴いましたが、歳久公殉死者の遺族の多くは、久竹の日置への復帰に随行せず、そのまま東郷に残留したのでした。 寛保2年(1742年)、東郷に残った殉死者遺族24名は相はかって、東郷の地に歳久公の供養塔を建立しました。歳久公没後 150年目のことでした。塔の高さは2メートルを超える自然石で、床には石畳が施され、その外周には石の垣根をめぐらせた堂々たるものです。 以来、祭祀の絶えることなく、特に明治、大正の頃までは7月17日の夜は参道一杯に灯籠を灯すなどして盛大な前夜祭をしたといいます。また翌18日の歳久公の命日の祭典には、たくさんの幟が建てられ、笛や太鼓はもとより、奉納行事もあって参詣人があふれ、出店が出る程ににぎわったそうです。 【参考にしたサイトおよび参考図書】 (1)東郷 | 鹿児島日本遺産 (2)天沢寺跡 - しまづくめ (3)天沢寺跡(1) - 薩摩旧跡巡礼 (4)鎌田政憲『東郷郷と歳久公』(島津金吾歳久公四百年祭志) |
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