レポート | ・金吾さぁ(島津歳久)と秀吉ゆかりの史跡巡り |
− 金吾さぁ(島津歳久)と秀吉ゆかりの史跡巡り −
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秀吉の九州征伐に際して秀吉の駕籠に矢を射かけ、死ぬまで秀吉に徹底して反骨を見せた島津の名将がいました。関ヶ原の敵中突破で知られる島津義弘の弟の島津歳久(としひさ)です。 1592年、ついに秀吉の怒りを買い、秀吉の命によって長兄・島津義久の追討を受け、竜ヶ水(鹿児島市吉野町)で自害、享年56歳。自害するまでの12年間、著者の暮らす鹿児島県さつま町全域一帯の領主で、別名を金吾様(きんごさぁ)と呼ばれ親しまれてきました。 歳久公の史跡・遺跡として、神社が15箇所、供養塔が14箇所、墓・墓跡が8箇所、位牌が6基確認されていて、地元での人気のほどが伺えます。歳久公を祀る大石神社のある同町中津川では、400年以上を経た現在でも毎年9月に『金吾さぁ踊り』が盛大に開催され、金吾さぁの遺徳を偲んでいます。 10月29日(金)、わが自治会(船木区公民館)の高齢者サロンの研修・視察として、史跡巡りを実施しました(参加者21名)。最後の大石神社参詣では、中津川区公民館の方々が、金吾さぁ自害の地に建立されている平松神社(心岳寺跡、鹿児島市吉野町)の宮司・島津孝久さんの講演会を企画して下さって、貴重なお話を伺うことができました。 帰りには、参加者全員、中津川特産のさつま南高梅の梅干しのお土産を頂きました。中津川の皆さん、至れり尽くせりのおもてなし、本当にありがとうございました。そして、島津孝久さん、ありがとうございました。 【参考ページ】 ・金吾様踊り − 鹿児島県さつま町 ・金吾様踊りの風景’09 − 鹿児島県さつま町 ・京都浄福寺 − 歴史を訪ねる旅(7) |
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