俳句鑑賞  ・五月雨   
− 俳句鑑賞・五月雨 −
五月雨は、五月(さつき)の『さ』と水垂れ(みだれ)の『みだれ』を結んだ意から『さみだれ』と読むようになったようです。陰暦5月に降る長雨のことですから、梅雨のこと。池上不二子(いけがみ・ふじこ)につぎの句があります。
 
  五月雨や作務僧だまり賑やかに  池上不二子
 
作務僧(さむそう)とは、禅宗のお寺で掃除などの作業を行なう修行僧のことです。その宿坊でしょうか、詰所でしょうか、長雨が続いて修行僧が賑わっています。一見平凡な風景を詠んだ句ですが、いろいろなことを連想させます。
 
賑わう程ですから、たくさんの修行僧を抱える大きな寺院でしょう。長雨で客も少ないし、また雨音が声を掻き消してくれるのでしょう、少々賑わっても支障ありません。通常は静寂な境内で規律正しく黙々と作業に勤しむ修行僧。そんな修行僧の生身の人間性を長雨があらわにします。
 
とはいっても、そこは禅宗の修行僧。卑猥な雑談に興じ入っているわけではないでしょう。どんな会話に話しが弾んでいるのでしょうか。差し詰め、お国自慢などかも知れません。梅雨を詠んだ句につぎのような句があります。
 
  真丸な月出て梅雨の休み時  池上不二子
 
俳句では、17文字のなかに必ず季語を入れないといけませんが、一句のうちに季語が二つ以上詠み込まれ主題が分裂することを『季重なり』といい、忌み嫌われます。
 
月は秋の季語で、しかも真丸な月といったら普通は秋を詠むときに使いますが、上の句は、下七が『梅雨の休み時』という断定的な表現で、主題はあくまで夏の季語である梅雨です。真丸な月によって、空梅雨の情景が強調されています。初心者には、季重なりが怖くって、このような形の句はなかなか詠めないでしょう。
 
明治の男性俳人のなかにたったひとり女性俳人として彗星のごとく登場し、注目を浴びた女性に、沢田はぎ女(1900年〜1982年)という人がいました。富山県高岡市生まれで、600 に余る佳句を残しますが、有名になろうとする頃、彼女の作品は彼女の手になるものではなく、夫の作ったものだという噂が立ち始めます。真偽のわからないまま、はぎ女は突如筆を折り、やがて夫ともども、俳壇から名前が消えていきます。
 
はぎ女が夫のペンネームであったという説に疑問を抱き、昭和32年に、まだ長生していた沢田はぎ女をたずね、その存在を明らかにしたのが池上不二子(1907年福岡県生まれ)でした。昭和38年(1963年)、池上不二子の手で『はぎ女句集』が出版されています。
 
祭は、夏の季語。日本の三大祭りの一つとされる神田祭は、五月雨の時期に先んじ、毎年5月15日に開催される祭りですが、印象に残った池上不二子の句があります。
 
  戻り住む親子に神田祭来る  池上不二子
 
毎年、梅雨の時期から夏の終わりにかけて集中豪雨が心配されます。本メルマガの著者の住む北薩摩地方では、昨年(2006年)の7月下旬、記録的な豪雨によって甚大な災害が発生しました。災害のない、恵みの雨であって欲しいと思います。(文中、敬称略)
 

2007.06.13 
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