レポート | ・モネの積みわら |
− モネの積みわら −
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最近見ることがほとんどなくなった藁塚(わらづか=脱穀後のわら束を刈田に積み上げたもの)の風景写真をFacebook(フェイスブック)に投稿したところ、僧侶住職で洋画家の方から『モネですね』と、ひと言コメントを頂きました。 旅行記 ・藁塚の風景 − 鹿児島県伊佐市 2018.11 → https://washimo-web.jp/Trip/Waraduka/waraduka.htm そうだったのですね。印象派を代表するフランスの画家、クロード・モネ(1840年〜1926年)は、季節、時刻、天候がそれぞれ異なる25点の『積みわら』の連作を描いているんですね。知識、興味が広がりました。 1880年代終わりから晩年にかけてのモネの作品は、一つのテーマをさまざまな天候や、季節、光線のもとで描く『連作』が中心になります。同じモチーフで複数の絵を描くという手法は、中近世の月暦画やミレーの四季連作のほか、モネが愛好していた葛飾北斎の『富嶽三十六景』や歌川広重の『名所江戸百景』といった浮世絵から発想を得た可能性があると考えられています。 モネは、1890年、しばらくの間旅行を諦め、借地だったジヴェルニーの家を購入し、自宅の周りの積みわらを描くことに集中しました。1880年代末にも何点かの積みわらを描いていましたが、1890年後半から1891年にかけては、『積みわら』の本格的な連作25点を制作しました。モネは、1890年10月、友人ジェフロワに、次のように書いています。 ― 積みわらの様々な光の連作に夢中なのですが、近頃は日が早く沈むので、追いつくことができません。しかし描き進めるに従って、私が求めているもの〜『瞬間性』、とりわけ物を取り囲む大気と、至るところに輝く均一な光〜を表現するためには、もっと努力しなければいけないことが分かるのです。― 『積みわら』は、一般的にモネの最初の連作とされており、ブッソ・ヴァラドン商会が1891年にモネから1枚3000フランで3点購入しました。カミーユ・ピサロは、息子リュシアン・ピサロへの手紙の中で、『みんなモネの作品しか欲しがらない。・・・みんな『日没の積みわら』を欲しがる。・・・彼が描いたものは全部、4000フランから6000フランでアメリカに売られていく。』と記しているそうです。(以上、クロード・モネ - Wikipedia より引用) 以下の写真は、クロード・モネの25点の『積みわら』の連作のうちの5つの作品です。伊佐市の藁塚の風景と1880年代のフランスの積みわらの風景が何と似ているこうでしょうか。
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2018.11.07 | ||||
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