レポート   ・キャサリン・ヘプバーンの恋   
− キャサリン・ヘプバーンの恋 −
歴史小説家・塩野七生(しおの・ななみ)さんの著書『人びとのかたち』(1995年、新潮社発行)は、映画に造詣の深い塩野さんの、映画や俳優を題材にしたエッセイ集ですが、ただの映画評論と違って、恋愛、友情、正義、差別等々のテーマについて著者の思いや価値観、美意識が短く凝縮されている本です。
 
女優キャサリン・ヘプバーンと男優スペンサー・トレイシーの恋愛について語った『不倫』という章のエッセイが印象深かったので、取り上げてみました。
 
キャサリン・ヘプバーン(1907.05.12〜2003.06.29、米国)は、医者の娘として米国コネチカットに生まれます。大学で心理学を学び博士の学位を得ますが、幼い頃から映画や演劇の世界に魅了され、21歳のときプロの舞台女優としてデビューを果します。
 
映画界にも進出し、『勝利の朝』や人気古典小説の映画化『若草物語』で映画女優として脚光を浴びますが、その後は不振が続き、ハリウッドを離れて古巣の舞台に戻ります。
 
そのとき自ら出資し、主演も兼ねた舞台演劇が『フィラデルフィア物語』でした。舞台版もヒットしましたが、M-G-M (エム・ジー・エム)社によってヘプバーン主演で映画化されると、商業的な大成功を収め、彼女は映画界での完全復活を遂げます。
 
そして、1942年、映画『女性No.1』で、M-G-M 社の人気俳優スペンサー・トレイシー(1900.04.05 〜 1967.06.10、米国)と運命的な出会いを果たします。以後、二人は26年間に9本の映画で共演し、また二人は、例えばトレイシーは「老人と海」、ヘプバーンは「旅情」など、それぞれ別々の映画でもすばらしい業績をあげます。
 
二人は仕事だけでなく私生活でも付き合いを始め、愛し始めます。敬虔なカトリック教徒だったトレイシーは、それでも妻を尊敬し、子供たちを愛する良き夫、良き父親でした。
 
二人の関係はマスコミの耳にも届き、ハリウッドでは「公然の秘密」でしたが、二人とも俳優として尊敬されていたこともあって、マスコミは二人に敬意を払い、後にライフ誌が取り上げるまでこのスキャンダルを報道しなかそうです。
 
ヘプバーンは、そんなトレイシーとの26年間の愛を、一度も男を独占しようと思うことなしに、一度も同じ家に住むことはなしに、まっとうしたといわれます。1967年にトレイシーが心臓発作で倒れたとき、誰よりも先に発見したのはヘプバーンでしたが、もう手遅れでした。彼女は遺体のそばに一人で10分ほどいて、部屋を去ります。
 
その数分後、トレイシー夫人と子供たちが到着します。ミサにも墓地での葬式にもヘプバーンが出席することはありませんでした。そして、葬式の48時間後、ヘプバーンは、トレイシー夫人に弔意を表わしに行きます。
 
塩野さんは、つぎの文章で『不倫』という章を締めくくっています。『自分にとって何が最重要事かを頭にたたきこみ、それを獲得するためには犠牲にできるものはすべて犠牲にしないと成り立たないのが、不倫と呼ばれる男女の関係であるような気がしてならない』(本文引用)と。
 
ヘプバーンは、アカデミー主演女優賞に12回ノミネートされ、俳優の中で最多の4回の受賞記録を果たしています。故郷の米国コネチカットで一昨年(2003年)のきょう6月29日、96歳の生涯を閉じました。
 
【参考にしたサイトおよび書籍】
この記事は、下記のサイトおよび書籍を参考にして書きました。
[1]素晴らしき哉、クラシック映画!〜・キャサリン・ヘプバーン
 → http://www.geocities.co.jp/Hollywood/5710/k-hepburn.html
[2]素晴らしき哉、クラシック映画!〜スペンサー・トレイシー
 → http://www.geocities.co.jp/Hollywood/5710/s-tracy.html
[3]『人びとのかたち』塩野七生・著/新潮社発行/1995年1月発行
 


 2005.06.29
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