コラム  ・デートは薩摩弁より英語で   
− デートは薩摩弁より英語で
参議陸軍卿・伯爵大山巌(おおやまいわお)とその妻大山捨松(すてまつ)のことを調べていて面白いエピソードを知りました。大山巌は西郷隆盛のいとこ(従兄弟)で14歳年下。3年間のジュネーヴ留学経験などがある大の西洋かぶれ。
 
大山巌は同郷の吉井友実の長女・沢子と結婚して3人の娘を儲けていましたが、沢子は三女を出産後に産褥で死去してしまいます。大山の将来に期待をかけていた吉井は、我子同然に可愛がっていた婿のために、後添いとなる女性を探し求めはじめます。
 
そこで、白羽の矢が立ったのが会津藩家老の娘・山川捨松でした。大山は捨松に一目惚れ。捨松は日本初の女子留学生として津田梅子らとともに渡米した才女。吉井を通じて大山からの縁談の申し入れを受けた山川家は、仇敵・薩摩人との縁談など以ての外だと即座に断ります。
 
しかも戊辰戦争では新式銃隊を率いて会津戦争に参戦した大山でした。しかし、大山も粘ります。吉井から山川家に断られたことを知らされると、今度は従弟の西郷従道を山川家に遣わして説得にあたらせます。
 
従道が連日説得にあたるうちに、大山の誠意が山川家にも伝わり態度も軟化。最終的には捨松『本人次第』という回答を引き出しました。これを受けた捨松は『(大山)閣下のお人柄を知らないうちはお返事もできません』と、デートを提案し、大山もこれに応じました。
 
しかし、捨松は濃い薩摩弁を使う大山が何を言っているのかさっぱりわかりません。そこで英語で話し始めるととたんに会話がはずみだしました。2人には親子ほどの歳の開きがありましたが、デートを重ねるうちに捨松は大山の心の広さと茶目っ気のある人柄に惹かれていき、交際を初めてわずか3ヵ月で、大山との結婚を決意したそうです。(以上、出典は、大山巌 - Wikipedia)
 
大山捨松
 鹿鳴館時代の捨松
 
大山巌
(写真はいずれも、大山捨松 - Wikipedia より借用。) 

2018.07.04
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