♪ハープシコード協奏曲第5番
Piano1001

    
    
旅行記 ・日月潭、文武廟と宝覚寺 − 台湾の旅(3)  2010.06
 
 日月潭
文武廟から望む廟門と背後の日月潭(写真上)
文武廟の廟門越しに眺める日月潭(写真上)
『双潭秋月』と呼ばれ、台湾八景のひとつに数えられているそうです。湖畔には、文武廟や玄奨寺などの見どころもあって、台湾を代表する観光名所の一つとして知られています。日月潭はもともと小さな湖でしたが、日本統治時代の1932年(昭和7年)、日月潭水力発電工事によって、濁水渓(だくすいけい)という川から水を引いた結果、水位が上昇して現在の大きさになりました。
『日月潭』(にちげつたん)は、台湾本島中央部に位置する台湾最大の淡水湖であり、台湾で最も秀麗な高山湖です。海抜760m、面積 100平方km、周囲37km。湖の北側が太陽(日輪)の形、南側が三日月の形をしていることからこう呼ばれるようになりました。風光明媚な日月潭は、『国立風景区』に指定されています。日月潭から見る夕日は特に美しいと言われ、また、日月潭で見る秋の月は
日月潭文武廟付設『景聖樓大飯店』(写真上)
 
風光明媚な日月潭(写真上) 
 
 文武廟
文武廟(写真上)
壁や柱などに描かれた門神。誰でしょう?(写真上)
廟は、前殿・中殿・後殿の三殿様式になっており、前殿(文廟)には文の神である孔子が、中殿(武廟)には武の神である関羽岳飛が祀られています。
『文武廟』(ぶんぶびょう)は、日月潭の北部河畔にあって、日月潭湖畔観光のハイライトスポットとなっています。廟門をくぐると広い境内が続き、階段を上がるとそこに本廟の主建築物があります。
レリーフ(写真上)
中殿(武廟)の境内から見た前殿(文廟)(写真上)
レリーフ(写真上)
その功績を称えて、後に鄂王(がくおう)に封じられ、関羽と並んで祀られています。三国志に登場する関羽(かんう)は、中国後漢末期に劉備に仕えた武将で、忠節と義理堅さから後世の人間に神格化され関帝とされました。
岳飛(がくひ)は、中国南宋の武将で、南宋を攻撃する金に対して幾度となく勝利を収めましたが、岳飛らの勢力が拡大することを恐れた宰相・秦檜に謀殺されました。
 『武聖殿』の額が掲げられた中殿(武廟)(写真上)
前殿(文廟)と中殿(武廟)の間にある『九頭の龍の彫刻』。背後が中殿(武廟)(写真上)。
文武廟の内部の飾り(写真上)
その後、1969年から1975年にかけて全面修築が行われました。また、1999年9月の大地震により大きく傾いたといわれますが、その後復旧に努め、現在は地震前と変わらぬ状態に復興されています。
文武廟も日月潭水力発電工事と深いかかわりがありました。1932年に、日月潭の水位の上昇によって水没の危機に瀕した湖畔の『龍鳳廟』と『益化堂』という二つの廟を合併し、1938年に今の場所に完成させたのが文武廟です。
直彫刻を施した石柱。龍が彫られています(写真上)
おびただしい金色の仏像が飾られたドーム状の天井(写真上)。
                     
     
宝覚寺
宝覚寺の立派な山門(写真上)。
日本式表現の本堂入口(写真上)
霊安故郷紀念碑(写真上)
台湾第3の都市、台中市は平均気温が23℃。年間を通して温暖な気候で、雨も少なく、緑も多いことから、台湾で最も住みやすい都市といわれ、新興住宅地として高級高層マンションが次々建設されている地域になっていますす。
   
その台中市内で観光の見所といえば
『宝覚寺』です。1928年建立の仏教寺院で、高さ約30メートルほどもある大きな弥勒大仏(布袋様)の像が有名なほか、日本と縁の深い寺です。戦前台湾で亡くなった日本人居留者約1万4000人の遺骨が納められており、大悲講堂には日本の国宝仏像解夢観音(奈良法隆寺)が祭られ、友愛鐘楼には日台友好を祈願し日本から送られた鐘があります。
和平英魂観音亭(写真上)
また、1990年(平成2年)には、台湾出身日本軍人の戦死者3万3千余人の霊を祀る『平和英魂観音亭』(写真上)と『霊安故郷』と刻んだ慰霊碑(写真左)が建立されました。この『霊安故郷』という文字は、台湾人として初めて総統になった李登輝氏(当時現職)の揮毫によるものです。毎年春秋2回に渡り、慰霊祭が開かれているそうです。
 
旅行者は、境内の奥まった場所に鎮座しているにこやかな顔の布袋様に心癒されます(写真下)。
高さ約30mの弥勒像(布袋様)(写真上)。
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