♪火鉢
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旅行記 ・生善院(猫寺)− 熊本県球磨郡水上村 2012.07
しょうぜんいん
生善院
『猫の怨霊』を鎮めるために創建されたという生善院(通称 猫寺)
九州山地、人吉盆地の最東端に位置する水上(みずかみ)村は人吉市街から車で約50分北東の奥に入ります。その水上村にある生善院(しょうぜんいん)は、別名を『猫寺』と呼ばれ、狛犬ならぬ『狛猫』が山門の両脇に立って、訪れる人を迎えます。このお寺は、今から380年以上も前、まだ相良氏が人吉・球磨地方を統治していた頃、相良藩にかかわる『ある怨霊』を鎮めるために、藩主によって建てられたといわれています。
狛犬ならぬ『狛猫』が迎えます。左側の『狛猫』。
って相良藩にたたるように言いふくめ、茂間(もま)が崎(さき)というところに身を投げて死んでしまう。すると、相良藩では、猫の怨霊が美女や夜叉に化けて藩主の枕許に立つなど、奇々怪々なことが次々に起きた。藩では霊をしずめるために普門寺跡に千光山(せんこうざん)生善院と名付けて寺を建立。現在の本堂も観音堂も、その時に建てられたものだ。法印の命日である3月16日に、藩民に市房神社と生善寺に参詣(さんけい)するように命じ、藩主自身もそうしたので、怨霊のたたりはしずまったと伝えられている。〜以上、現地案内板より〜
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猫寺伝説
天正10年(1582年)、相良(さがら)藩への謀反を企てているという嘘の訴えにより、湯山(ゆやま)佐渡守宗昌(むねまさ)とその弟で普門寺(ふもんじ)の盛誉法印(せいよほういん)が殺されることになった。その話を聞いた宗昌は日向(ひゅうが)へ逃げたが、寺に残った法印は殺され、寺も焼かれてしまう。無実でありながらわが子を殺された法印の母、玖月善女(くげつぜんにょ)は愛猫玉垂(たまたれ)を連れて市房(いちふさ)神社に参籠(さんろう)し、自分の指を噛み切ってその血を神像に塗りつけ、 玉垂にもなめさせて、末代までも怨霊にな
 山門に向かって右側の『狛猫』
左の建物が生善院、右手前が生善院観音堂
 
生善院観音堂
(国指定重要文化財)
霊屋的な意匠を持つ生善院観音堂
生善院観音堂 生善院は、謀反の疑いにより非業の死をとげた普門寺盛誉(せいよ)と、その後を追って死んだその母玖月善女(くげつぜんにょ)を祀るために、寛永2年(1625年)に人吉藩主相良長毎(ながつね)によって創建された。この玖月善女の愛猫伝説から『猫寺』とも呼ばれている。
『相良三十三観音霊場第二十四番札所』としても親しまれています。
堂内の須弥壇(しゅみだん)や厨子(ずし)も当初のもの。生善院観音堂は、堂内の金箔や極彩色の厨子や須弥壇、あるいは堂の内外を漆塗りとした霊屋的な意匠を持つ点に特徴がある。保存状態もよく、豪華な造りで、球磨地方の江戸時代前期の代表的建造物として価値は高い。〜 以上、現地案内板より
『招き猫おみくじ』。中におみくじが入っています。一個500円
【DATA】
生善院(猫寺) (ショウゼン(ネコデラ))
〒868-0701 熊本県球磨郡水上村岩野
国重要文化財
創建 : 寛永2年(16251年)
お問合わせ : TEL 0966-44-0333
 相良藩化け猫騒動(猫寺の由来)
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