旅行記  ・徐福伝説 −      鹿児島県串木野市冠岳   




徐福伝説』をご存知でしょうか? 今から約2200年前のはるか昔の紀元前219年、中国は秦(しん)の時代。巡幸中の始皇帝に、徐福(じょふく)という一人の方士が次のように進言します。『中国の東方の海上に、蓬莱(ほうらい)、方丈(ほうじょう)、えい州という三神山があり、仙人がいて、不老不死の薬が手に入ります』と。始皇帝の命を得た徐福は、数1000人の童男童女、五穀の種、技術者を乗せて船出しました。徐福一行は、そののち日本にたどり着き、農耕文化や製紙技術などをもたらしたと伝えられています。当時、渡来人たちのもたらした稲作技術や神仙思想などは、縄文時代から弥生時代へ移ろうとしていた当時の日本に大きな影響を与え、以後の日本の行方を決定づけることになったのです。徐福一行渡来の話しに、古来より多くの人々が壮大なロマンを覚え、語り伝えたのに違いありません。徐福渡来伝説の伝わる地が、熊野・佐賀・富士山・八丈島など、日本国内に実に二十数カ所もあるのです。
 鹿児島県串木野市にも『徐福伝説』の地があります。徐福は、串木野市内の照島海岸に上陸し、冠岳(かんむりだけ)の地にたどり着いたと言われています。古代山岳仏教の発祥の地で、真言密教開祖の地とも言われる冠岳には、多くの薬草が自生していたといわれています。この夏、冠岳を訪れました。徐福伝説と山岳仏教の雰囲気をアップロードします。(注)「方士(ほうじ)」とは、「神仙道の使い手で、不老不死の研究家」のこと。                    (旅した日 2003年8月)


 《串木野市冠岳マップ》



霊峰冠岳 串木野市内の照島海岸に上陸した徐福は、荘厳な霊峰に至り、封禅の儀を行い、自分の冠を山頂に留めたので、以来『冠岳』と呼ぶようになったと伝えられています。標高516m 。
仁王と狛犬と冠岳 冠嶽園へ行く道へ入ってすぐ、五反田川の橋の近くに二体の仁王(におう)と狛犬(こまいぬ)が訪れる人を迎えてくれます(写真上左右)。鎮国寺頂峯院から望む冠岳(西岳)の頂上(写真上中)。

冠嶽園 冠嶽園(かんがくえん)は、薬草の宝庫でもある山岳仏教の名山「冠岳」の縮景と、その名の由来である「方士徐福」の伝承を顕現(けんげん)するため、かって頂峯院があった跡に設けられた中国風庭園です。東海の彼方の地・蓬莱(ほうらい)に思いを馳(は)せる姿の徐福像が建てられています。
蓬莱の地のものを想像した八角形の建物、八蓬閣(はっぽうかく)と、庭園の景色を楽しむための建物、楽景庁(らくけいちょう)(写真上右)。天をつかんばかりの大きな榧(かや)の奥にある丸い門、榧天門(ひてんもん)(写真下右)。

徐福 1982年に中国で地名一斉調査が行なわれた際に、江蘇省で、かつて徐福村と呼ばれていたという地名が発見され、徐福の故郷であることが判明しました。これによって徐福実在が裏付けられたと言われています。中岳の中腹に、2000年11月、串木野市政50周年を機に、『徐福求仙登蓬莱之像』が建立されました(写真下)。高さ8mの日本一大きい徐福の像です。



徐福の真意は?
 紀元前219年に、徐福は巨額の費用をかけて船出しますが、9年後に薬を得ずに戻ります。徐福は、『蓬莱の薬を目の前にしながら、大鮫に邪魔されてたどり着くことができないので、射手を用意して頂きたい』と始皇帝に理由を述べます。どうしても不老不死の薬の欲しい始皇帝は、徐福の願いを聞き入れ再度渡海を許します。再度渡海を果たした徐福は、二度と帰ることなく、「平原広沢」を得て王となったと『史記』に記録が残っています。徐福一行の渡海は9年の歳月をかけて行われたのです。徐福は、本当に不老不死の薬を探して帰る気があったのでしょうか? 徐福は、秦の天下統一による領民の苦しみ、万里の長城の苦役や始皇帝の暴政を見るに耐えかね、永遠のユートピアを東方の神仙郷に求めたのだと言われています。さて、「平原広沢」とはどこだったのでしょうか? 人々のロマンごころはつのるばかりです。


鎮国寺頂峯院 今から約1,300年前、用明天皇の勅願所として蘇我馬子が熊野権現社を勧請するとともに、興隆寺を建立しました。また、阿子丸仙人が天台宗を開きました。のちに真言宗鎮国寺頂峯院というようになり、仏教普及の一大中心地をなしました。近年、西岳中腹に再興されました。
納経所 西岳の中腹に位置する鎮国寺は、真夏の蝉時雨のなかでひんやりと佇(たたず)んでいました。納経所の白壁に映えるみずみずしいもみじの緑が印象的でした。 不動堂 日本の南を守り、この冠岳より世界の息災と豊饒を祈る目的で神戸鏑射寺より勧請された総高八尺余、一木造りの黄不動明王を祀(まつ)ってあります。
熊野薬師堂 用明天皇の勅願で紀州熊野より歓請された熊野三所現権を祀(まつ)る御堂。薬師如来を安置し、九州四十九院薬師霊場第27番札所でもある。 弘法大師堂 真言宗の開祖弘法大師を祀(まつ)り、冠嶽の歴代住職、山伏等の供養を行う御堂。冠嶽園の近くにあります。大師堂の裏には、弘法大師像があります。
弘法大師像と仙人岩 冠嶽園のすぐ近くには、仙人岩を背に冠嶽神社や大師堂があります。大師堂から望む仙人岩は絶景で、冠嶽園付近の雰囲気をよく出しています。仙人岩には、不動尊洞や虚空蔵洞などのがあり、霊験あらたかな地として今も尊信を集めています。

【備考】
(1)本ページの説明文は、冠嶽園に置いてあった串木野市の『冠嶽園パンフレット』、串木野市および串木野商工会議所のホームページの下記ページを参考にして書きました。ホームページアドレスは、以下の通りです。
・串木野市ホームページ/冠岳観光マップ → http://www.city.kushikino.kagoshima.jp/kushikino03/kushikino29.htm
・串木野商工会議所ホームページ/鎮国寺頂峯院 → http://www.minc.ne.jp/kushikino-cci/kankou/page08.html


(2)『徐福』に関するいくつかのサイトを以下に紹介致します。
・徐福 → http://www003.upp.so-net.ne.jp/kodaisi/johuku.htm
・徐福伝説考 → http://www.geocities.jp/horuhorushiho/densetu.htm
・徐福伝説 → http://inoues.net/yamataikoku/mystery/jyofuku.html
・徐福伝説伝承地 → http://homepage2.nifty.com/iitoma/shiryoushitu/jyofuku.html