♪勿忘草
TAM Music Factory

      
旅行記 ・伊作太鼓踊り − 鹿児島県日置市吹上町  2010.08.28
      
伊作太鼓踊り

鹿児島県日置市吹上町の
伊作(いざく)地区に伝わる『伊作太鼓踊り』(県無形民俗文化財)が
8月28日、同地区の南方神社(諏訪神社)に
奉納されました。

今から約600年前の
応永13(1406)年に、伊作島津家第4代城主・島津久義が
田布施の二階堂行貞を降伏させたときの戦いをヒントにして考案された戦勝の踊りだ
と伝えられています。
着物姿の4人の子どもの『中打ち』が、
中央で鉦(かね)と小太鼓をたたくと、大太鼓を抱えた『平打ち』25人が
周りを囲んで勇壮な踊りを披露します。
この太鼓踊りは、
白装束に草履を履いた『平打ち』が、
薙刀に付けたホロ(薩摩鶏の羽)とともに、2mもある軍配状の矢旗
『唐団扇(とううちわ)』を背負っているのが、
特徴です。
中央の『中打ち』は、
2名が稚児姿(小学生)、2名が女装姿(中学生)で、彩り豊かに
花笠をかぶっています。
  この踊りが南方神社の
奉納踊りとされたのは、伊作島津家第10代城主・島津忠良(日新斎)が
天文8年(1539年)に、加世田城(別府城)を攻略した際、
従来奉納されていた流鏑馬(やぶさめ)に
代わり採用されたのが始まりとされ、以来南方神社の正祭日である8月28日に
奉納踊りとして毎年続けられています。
伊作地区の
湯之元、和田、入来、中之里、田尻、花熟里の6集落が
毎年交代で奉納します。今年は
中之里集落が担当で、
8月28日と29日の両日踊られ、計38カ所で
披露されました。
島津本宗家は、
第14代当主・島津勝久のとき、勝久が若年のため
弱体化します。
勝久は、伊作家当主の島津忠良を頼り、
大永6年(1526年)、忠良の長男・島津貴久が勝久の養子となり、第15代島津家当主として
家督を継承、島津本家再興と
三州(薩摩・大隅・日向)の統一に着手しました。 
 その後、三州統一を成し遂げ
九州制覇完成寸前のところで豊臣秀吉に降伏した島津義久、関ヶ原の中央突破で知られる義弘、
死ぬまで秀吉に反骨を見せて自害した歳久(金吾さぁ)は、
貴久の子として
ここ伊作の亀丸城に生まれました。
そんな歴史を思い出しながら
訪ねた伊作太鼓踊りでした。中之里集落の皆さん、
ありがとうございました。
       
      
あなたは累計
人目の訪問者です。
 

Copyright(C) WaShimo All Rights Reserved.