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旅行記 ・北海道大学植物園 − 北海道札幌市 2012.07
 北海道大学植物園
石狩平野の原始の姿を今に伝えるハルニレの巨木
札幌駅から徒歩で約10分、ビルの建ち並ぶ街の中心部に『緑のオアシス』はあります。北海道のシンボルである道庁赤れんが(北海道庁旧本庁舎)の正門からまっすぐ東にのびる北三条通りの、道庁赤レンガを挟んで西側のすぐのところに、そのオアシスは広がっています。『北海道大学植物園』(北海道大学北方生物圏フィールド科学センター植物園)です。
門衛所(重要文化財)/明治44年(1911年)/設計:新山平四郎
この植物園は、北海道大学の施設として研究、教育および博物資料の体系的な収集・保存・活用を主な目的としています。創立当初から一般に公開され、市民の自然教育に役立つように運営され『北大植物園』として古くから親しまれています。植物園の歴史の始まりは、はるか明治の初めにさかのぼります。
 
 クラーク博士の里帰りハシドイ
876年秋、札幌農学校教頭として赴任したW.S.クラーク博士は、北海道の山野に自生するハシドイの種子を米国ハーバード大学アーノルド樹木園に送った。ハシドイは広く庭園に用いられるライラックの仲間であることから、新品種作出などの意図があったのかもしれない。この種子を発芽させ育成された株(登録番号1111-A)は現在でもアーノルド樹木園にあり、樹木園のライラック・コレクションの中でも最も古い株である。アーノルド樹木園では挿し木により、この親株から苗を増殖することに成功した。そのクラーク博士ゆかりのハシドイ苗3本が、1998年春、ほぼ 121年ぶりに本植物園に里帰りした。クラーク博士は農学教育には植物園が必要である事を建議し、本植物園創設の端緒をつくられた。初代園長宮部金吾は農学校2期生として、博士から多大な影響を受けたとされる。そこで本植物園創設に多大な貢献を成した二人の先達を記念するため、宮部博士ゆかりのほかk同最古のライラックと向かい合せに、クラーク博士ゆかりの里帰りハシドイを植えた。(現地案内板より)
      クラーク博士の里帰りハシドイ(ライラックの一種)
開拓使はうっそうとした原生林の広がる道庁の西側を放羊場と定め、明治15年(1882年)、その中に博物館を建てました。一方、札幌農学校(北海道大学の前身)の教頭であったクラーク博士は、明治10年(1877年)に開拓使長官に対して、植物学の教育・研究には植物園が必要であると進言しました。
宮部金吾記念館(国登録有形文化財)/明治34年(1901年)年竣工/設計:中條精一郎。正面左にはスミス女学校
(現北星学園)の創設者サラ・クララ・スミス女史がアメリカから持参したとされる札幌最古のライラックが植えてあります。
クラーク博士の進言が機縁となり、明治17年(1884年)、博物場とともに植物園用地が札幌農学校へ移管され、初代園長となる宮部金吾博士によって植物園の計画・設計がなされ、明治19年(1886年)に現在の原形が完成しました。面積13.3haの園内には約4,000種の植物が育成・保存されています。
針葉樹林の中を通る道
植物園は、石狩川の一支流である豊平川によってつくられた扇状地に位置し、園内は緩やかな起伏に富み、大正の終わりごろまでは各所で泉が湧き出る地味豊かな場所でした。植物園には開園当時のハルニレ、イタヤカエデ、ミズナラ、ハンノキ、ドロノキなどを主体として広葉樹林が残っています。
石狩低地帯の原植生の面影を残す湿生園の植物
現在では開発によって失われてしまった石狩低地帯の原植生の面影を残す貴重な場所にもなっているのです。園内は、温室、高山植物園、草本文科園、北方民族植物標本園、エンレイソウ実験園、樹木園、灌木園などの標本園が整備されており、各テーマにそって植栽・展示がなされています。(以上、北海道大学植物園入口の案内板より)
 
北海道大学植物園・博物館
(重要文化財)
博物館本館(重要文化財)/明治15年(1882年)竣工/原案設計者:ベートマン(アメリカ)
博物館本館は、正面中央に片流れで軒先を三角の破風形にした玄関ポーチをつけ、外壁は下見板張りとするが、正面及び背面の妻は竪板張りとして束や方杖形を表し、ハーフティンバー風になっています。軒などを支える繰形付きの持送りや開拓使の星形マークなどを各所に使い伊昌を意匠を凝らしています。
バチェラー記念館(国登録有形文化財)/明治31年(1898年)/施工:伊藤組
植物園と博物館は、北海道開拓時代に始まります。明治10年に北7条西7丁目の偕楽園内に仮博物場を設置し、明治15年、当時放羊場であった現在地に札幌博物場(現博物館本館)を建てました。その後、明治17年に開拓使のあとを引き継いだ北海道事業管理局から、札幌博物場とその周辺を植物園敷地として札幌農学校を譲り受け、明治19年に園路などが整備され、現在の形に整えられました。
博物館倉庫/明治18年(1885年)(左)と博物館便所/明治36年(1903年)/設計:中條精一郎、いずれも重要文化財
札幌農学校は明治40年に東北帝国大学農科大学、大正7年に北海道帝国大学、昭和22年に北海道大学と改められ現在に至っています。平成元年5月19日に本館、事務所、倉庫、鳥社、便所、門衛所の6棟の建物が重要文化財に指定され、建物とその周辺は大正末期から昭和初期のたたずまいに復元、整備されています。(現地案内板より)
博物館事務所(重要文化財)/明治34年(1901年)年/設計:中條精一郎
DATA 北海道庁(赤レンガ)のすぐ西。JR札幌駅、地下鉄さっぽろ駅・大通駅からそれぞれ歩いて約10分。駐車場なし。■夏期 (庭園・温室・博物館施設)4月29日〜11月3日(休園日:月曜日(月曜が祝日の場合はその翌日))/入園料400円(大人)、280円(小・中学生)■冬期(温室のみ開館)11月4日-4月28日/入園料110円(小学生以上)
針葉樹の巨木
【参考サイト】
(1) 北海道大学農学部植物園
 
 レポート ・官園と札幌農学校
 
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