♪望郷のバラード
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旅行記 ・花瀬望比公園 − 鹿児島県指宿市  2008.08
 はなせ ぼうひ こうえん
花瀬望比公園
擲弾筒(てきだんとう)を握りしめ、比島(フィリピン群島)の山野、密林をかけ走る在りし日の殉国戦士
殉国戦士面影の像
世界民族の永久の平和を祈念し、激戦地フィリピン群島で生命をかけ戦い矢つき玉尽き、尊い生命を落とされた殉国戦士の面影を象徴したものです。中村晋也(日本芸術院会員、鹿児島大学教授)作。
 
花瀬望比公園・沿革
比島作戦に参加した鹿児島県出身戦死者一万二千余柱の遺族と、二千余人の生存者が中心となり、昭和41年『比島戦没者遺骨収集ならびに慰霊碑建立期成会』を結成。同年11月に鹿児島大学の練習船『敬天丸』で出航し、ルソン・レイテの島々浦々、山野峡谷から4,047柱の遺骨を収集した。昭和43年に開聞町当局の好意により、この地に慰霊碑を建立した。
花瀬望比公園
『望比』(ぼうひ)とは、比島(フィリピン群島)を望むという意味です。薩摩半島の南端の象徴である開聞岳のちょうど西側にある花瀬崎は、初期噴火のときに流れ出た縄状玄武岩でおおわれている海岸で、イソギンチャクが殻の中から五色の花を咲かせている群落があったことから花瀬の名称が生まれたといわれます。その花瀬公園に、比島戦没者慰霊碑が建設され、死生の扉、想比之碑、安らぎの鐘、大鐘楼などが整備されたのを契機に、公園の名前を改称し、過ぐる第二次世界大戦の戦没者の霊の鎮まる霊地として末永く英霊の安穏と21世紀に向けて世界各国の平和の基地として発展することを祈念し、『花瀬望比公園』と命名されたものです。〔1〕


『お父さんは無事だよ、ね・・・』
想比之像
比島に出兵した従軍兵士の妻子は夫や父の安全と終戦をひたすらに望み無事帰還を祈っておりました。
この像はその姿を象徴したものであります(中村晋也作)。後ろはレイテの森と開聞岳。

死生の扉

私たちは
それに応えているや
二度とこんな事を
起こしてはならない
親から子へ 孫に
無惨 痛哭の太平洋戦争を
そして壮絶 
艱難辛苦の戦後もまた 
語り継いで
行かねばならない
比島の山野の叢(くさむら)の中から収集された遺骨が、比島全土で散華された英霊の象徴遺骨として、慰霊碑(写真右)中央、鉄兜直下に埋葬されています。
碑文(死生の扉、写真左)
遥か
南海の比島戦線に散りし
四十七万六千余名の英霊
時空を超えて
故国のこの地に鎮魂す
心底に万感を憶え
痛惜の念を石碑に刻む
 
自らを捨て
祖国の盾となりし
その死は
決して徒ではなかった
尊い犠牲
限りない加護がありて
今日の平和
いやさかの繁栄が有る


比島戦没者慰霊碑
日本軍の92式重機関銃(遺骨収集の際に鉄兜とともに日本へ持ち帰られたものです。)


比島の方角を指し示す石標
碑文(写真上)
『岬の突端との延長線上千九百キロに 多くの同胞の果てた 比島がある』
死生の扉
戦没者数47万6千余柱、比島作戦に果てた同胞の形骸は朽ちても、すべての精霊が永遠に比島にとどまっているとは思いたくありません。異域の密林や南冥の底から、戦友に抱き起こされ押し上げられて、不死鳥のようによみがえり、1,900キロの天空を駆け、戦場で夢見つづけた祖国に声亡き凱旋の姿を願うのは遺族だけではありません。そのような祈りを込めて造形されたのが『死生の扉』です。
〔1〕
比島戦没者慰霊碑・碑文(写真下)
許されるものならば
還らざる旧軍四十七万六千余柱の
精霊なおもとどまる
雲咽万里比島の地に
痛恨の碑を建て その前に伏し
心からなる祈念を捧げたいものを
 
やむなく 日本列島最南端の
ここに碑を置き 想いを馳せて
みたま鎮まれとひとしく願う










比島戦没者慰霊碑
戦士のおもかげの像(戦友に抱き起こされ、押し上げられて・・・夢に見つづけた祖国日本へ)
望比観音像

比島全土で散華されたこれらの英霊は、フィリピン群島を望む日本列島の最南端花瀬崎の慰霊碑の中央、鉄兜直下に象徴遺骨として埋葬しその山門にあたる死生の扉(日本芸術院会員・中村晋也制作)を潜り慰霊碑に拝礼する形式になっている。
 
死生の扉は、比島戦線で殉職された兵士の御霊が不死鳥となり、比島から祖国日本へ飛翔し声鳴き凱旋をした姿を造形したもので、慰霊碑とともに1968年4月除幕式が行なわれた。

花瀬望比公園記念碑
    花瀬望比公園・沿革(詳細)


太平洋戦争(1941年12月8日〜1944年8月15日)の激戦地フィリピン群島では、従軍兵の4分の3に相当する47万6千余柱が戦場の露と消え、そのうえ終戦後も兵士の死骸は草むす屍として山野に散乱していた。
 
九死に一生を得た戦友や遺族の心痛に応え、遺骨収集並びに慰霊碑建立期成会を結成、1966年11月遺骨収集団(団長ほか21名)は、鹿児島大学水産学部練習船敬天丸に乗船、遥々比島の古戦場に上陸、炎天下、比島各地の激戦を偲びつつ、山野の叢(くさむら)の中から、4,147柱の遺骨を収集した。
 
遺骨は広大な戦野に眠る戦友の御霊と一緒に現地で鎮魂の供養を行い、祖国日本の鹿児島港に帰還した。
安らぎ之鐘から見た園内と開聞岳
 
当日は県内外の遺族参列のもと開聞町並びに比島戦没者慰霊碑奉賛会の共催で第一回の慰霊祭が執行された。その後、毎年3月27日、慰霊祭が行なわれている。
 
1991年、花瀬望比公園整備実行委員会を組織し慰霊碑周辺整備事業により、鎮魂平和の大鐘楼、想比の母子像(中村晋也制作)を建立、献燈190基を整備し、この一帯を花瀬望比公園と呼称するようになった。
 
太平洋戦争終結50年記念事業として、望比観音及びおもかげの像(中村晋也制作)を建立し、世界平和と日本国の繁栄を記念し平和宣言を行なった。
 
殉国の英霊とこしえにここ花瀬の聖地に鎮まり、祖国の安泰と世界の恒久平和をお護り賜うことを乞い願うものであります。
      
        1996年3月27日 開聞町長
        
(現地案内板より)
安らぎ之鐘
大鐘楼の鐘韻松籟とともに雲烟万里一、九〇〇キロメートルの彼方の比島の島々に響き渡り地下に眠る勇士の霊を慰め併せて世界平和と万民の平穏功徳を祈る望比鎮魂平安之鐘として町内外有志の浄財を集めて建立したものであります。完成平成三年。※松籟(しょうらい)=松に吹く風の音、雲烟(うんえん)=雲とかすみ。
レイテ島の密林を模してレイテの森が造られています。
映画『北辰斜めにさすところ』のロケが ・・・
映画『北辰斜めにさすところ』(監督:神山征二郎、出演:三國連太郎 、緒形直人 、林隆三 、佐々木愛ほか、2007年10月公開 )のロケが、この花瀬望比公園でも行なわれました。
 
戦後60年、戦前の七高(現鹿児島大学)と五高(現熊本大学)の野球部対抗戦の再現試合実現に向け奔走するOBたち。しかし、かつて七高の野球部エースピッチャーとして鳴らした上田勝弥(三國連太郎)は、仲間たちの再三の要請にもかかわらず、頑なに参加を固辞し口を閉ざし続けます。軍医として従軍した南方戦場での悔恨と慚愧(ざんき)という深く重い理由があったのでした。そんな折、かつて勝弥の女房役のキャッチャーだった西崎(織本順吉)の訃報が届きます。勝弥は、記念試合出席を楽しみにしていた西崎の意を汲んで、やっと参加を決意します。
 
鹿児島に来た勝弥は、志望校を慶応大学から変えて鹿児島大学に入学した孫の勝男をともなって、花瀬望比公園を訪ねます。七高時代に最も尊敬し慕った同郷(熊本県人吉)の先輩・草野正吾(緒形直人)を、なす術なく重傷者のまま戦場に遺(のこ)し去ってきたという辛い過去が思い出されます。『この海の向こうで戦争があったんだね。50万人近くの人が死んだままになっているなんて信じられない』とつぶやく勝男。『南方の島々にも、こん先の海の中にも、帰ってこれん者がいっぱいいるとよ』という勝弥。
 
公園内を西に望む。死生の扉、想比之像、安らぎ之鐘などが見えます。
〔編集後記〕
写真は、指宿市の西隣の南九州市頴娃(えい)町の海岸から眺めた開聞岳(標高922m、別呼薩摩富士)です。写真に見えている側が開聞岳の西側になり、中央の山裾辺りに花瀬望比公園はあります。東側山麓は開聞山麓自然公園になっていて登山口やゴルフ場などがあり、さらに東側にはフラワーパーク鹿児島や長崎鼻などがあって観光客で賑わいます。それに比べ、西側にある花瀬望比公園は戦跡巡りのツアーででもない限り、通常の観光ツアーでは観光コースには入っていないでしょうし、鹿児島県民にさえ比較的知られていないところです。そういうこともあって、今回のレポートとなりました。
〔補遺〕
2008年8月15日(金) 午後10時30分〜11時29分総合テレビで、NHKスペシャル『果てなき消耗戦 証言記録 レイテ決戦』が放映されました。  → http://www.nhk.or.jp/special/onair/080815.html
 
〔お便り紹介〕
このページをご覧頂いて、鹿児島市在住の隈元達雄さんから『花瀬望公園』と題するエッセイを送って頂きました。隈元さんは、楠声会合唱団(鹿児島大学男声合唱団フロイデ・コールOBで組織されている合唱団)のメンバーで、映画『北辰斜にさすところ』の中で、劇中歌『北辰斜に』と『楠の葉末』を歌われています。花瀬望比公園に寄せる想いが綴られた隈元さんのエッセイには、”(父は、)ルソン島をあちらこちら追われ、衣も食も不自由の中に戦死したらしい、昭和24年戦死公報の白木の箱は一片の位牌しか入っていなかったそうだ”とあります。隈元さんのお許しを得て、ここに、PDFファイルへリンクを貼る形で紹介させて頂きました。下記のアドレスをクリックすればPDFで見れます。2012.02.28 
エッセイ ・花瀬望比公園  http://washimo-web.jp/Report/HanaseBouhiKouen.pdf
 
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