エッセイ | ・歳旦三つ物 〜 夢売り |
− 歳旦三つ物 〜 夢売り −
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『歳旦三つ物』(さいたんみつもの)の『歳旦』とは、1月1日の朝、すなわち元旦のことで、『三つ物』とは、連歌・俳諧における、発句・脇句・第三の3句からなる連句形式のことです。したがって、『歳旦三つ物』とは、正月吉日に歳旦を祝う意味で作られる『三つ物』のことで、これを披露することを『歳旦開き』といいます。 発句(ほっく)は、575の十七文字で詠み、正客の座。季語と切れ字(かな、けり、や、など)を詠み込みます。この発句の独立性が高まり、発句のみを鑑賞することが多く行われるようになり、のちに単独で『俳句』と呼ばれるようになりました。 次に、脇句(わきく)は77で詠み、亭主の座。すなわち、客を迎えた亭主の心で発句に対する答礼の句です。発句と同季、同所、同時刻を原則とし、漢字による体言止め(名詞止め)が多いです。第三(だいさん)は、575で、発句・脇句の世界から離れて、丈(たけ)高く詠みます。『て』あるいは『にて』留めを普通とします。 俳句を始めて7年近くになるのに未だ初心者の域を脱しきれずにいる著者ですが、ひとつ歳旦三つ物に挑戦してみました。 夢売りの声高らかな二日かな ワシモ 両手で抱え込む福袋 同 一輪の梅の蕾の膨らみて 同 『二日』(ふつか)は、1月2日のことで新年の季語です。1月2日は、昔から初仕事の吉日とされていて、初荷・初湯・掃初め・書初めなどがこの日の行事になっていました。一方、『夢売り』は、童謡詩人・金子みすゞ(1903〜30年)に同名の作品があったのを思い出して使ってみました(実際にそういう商売があるわけではありませんが)。 金子みすゞが生まれ育った山口県長門市仙崎や書店の店番をしながら童謡詩を投稿し始めた下関のゆかりの場所を初めて訪ねたのは、もう10年前の2002年1月のことでした。下関の1915年に建てられた旧秋田商会ビルは、現在は下関観光情報センターとして使われており、1階の一角に金子みすゞコーナーが常設されています。そこに、次の童謡詩が貼ってありました。 夢賣り 金子みすゞ 年のはじめに 夢賣りは よい初夢を 賣りにくる たからの船に 山のやう よい初夢を 積んでくる そしてやさしい 夢賣りは 夢の買へない うら町の さびしい子等の ところへも だまって夢を おいてゆく 経済成長期に若者の時代を生きた団塊の世代(1947〜49年生まれの世代)に比べ、現代の若者には夢がないといわれます。身の廻りに物が溢れていて、求めれば何でも手に入れられる時代になり、若者が夢を持ちにくくなった、夢を持たなくなったといわれます。 果たして、貧しくないと夢を持てないということでしょうか? 豊かであるかどうか にかかわらない、普遍的な夢の本質について考えてみる必要があります。夢の本質とは、『かけがえのない人生を充実して生きる』ということではないでしょうか。どういう時代であっても、そう願わない人はいないはずです。 人生を充実して生きるには生きるための価値観の確立が必要です。多様な価値観が認められ、多様な価値観の下で、若者たちが自分の人生を充実して生きる場を見つけられる世の中を実現すること― それは多分に政治の役割です ―が、今日の『夢売り』の仕事ではないかと思います。 |
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