レポート  ・左手で紡ぐピアノ曲 〜 舘野泉さん   
− 左手で紡ぐピアノ曲 〜 舘野泉さん −
音楽CDを2枚購入しました。いずれも、舘野泉(たてのいずみ)さん演奏のピアノ曲です。一枚は、『風のしるし − 左手のためのピアノ作品集』というタイトルで、ジャケットの帯に、『もう、CDを出すことなどないと思っていたが、いまこうして間宮さんやバッハ/ブラームスの作品が世に出ようとしている。片手でしか弾けなくても、音楽は音楽。なんら変わることなく豊かに呼吸して流れるのである。』(舘野泉、ライナーより)とあります。
 
ピアニスト舘野泉さんは、1936年に東京に生まれ、60年に東京芸術大学を首席で卒業。64年よりヘルシンキ在住(奥様がフィンランド人)。68年、メシアン・コンクール第2位。同年より、フィンランド国立音楽院シベリウス・アカデミーの教授。81年以降は、フィンランド政府の終身芸術家給与を受けて演奏活動に専念。演奏会は世界各地で 3,000回以上、リリースされたCD・LP は100点を超える。
 
しかし、2002年1月、フィンランド第二の都市タンペレでのリサイタルで、最後の曲を弾き終わってお辞儀をし、ステージを去ろうとした時、脳溢血で倒れます。『演奏も残すところあと二頁という時に、右手が次第に遅れだし、軌道を外れたように空回りして停まってしまったのだから、その時に出血が始まっていたのだろう』とCDの解説書にあります。
 
右半身不随になった舘野さんは、友人の誰もが左手のためのピアノ協奏曲があるじゃないかとすすめるのが嫌いだったそうです。ところが、倒れてから一年半近く経った頃、ヴァイオリニストである息子さんから、シカゴのお土産にブリッジの『三つのインプロヴィゼーション』という曲の楽譜をもらいました。左手の曲でした。
 
弾いてみると、意外にこれは楽しいと思った舘野さんは、左手の作品を探してみます。そうすると、左手の曲が驚くほどたくさんあって、それらのほとんどが、誰か特定のハンディを負った人、つまり戦争で片腕を失ったり、交通事故で思わぬ怪我をしたり、神経症や脳溢血になって片手の自由が利かなくなったりした人のために書かれているものでした。そうした作品が音楽界の裏道でひっそりと生きてきたことに気づきます。
 
病気になってから2年余りが経った2004年5月に左手だけのプログラムによる復帰演奏会を東京や大阪などで行い、大きな反響を呼びました。復帰を祝って、三十年来の友人である間宮芳生さんが書いた左手のための作品が、CDのタイトルになっている『風のしるし』という曲です。
 
『風のしるし』の風は、アメリカ先住民族ナヴァホ族の創世神話で語られる風の神、ニルチッイ・リガイのことで、風の神は1990年代から間宮さんの大切な主題になっているそうです。澄んで静かな中に躍動を感じる演奏です。CDは、『風のしるし』の他に、全11曲を収録。
 
              ***
 
以降、間宮さんのほかにたくさんの作曲家が、舘野さんのために左手の作品を書きます。購入した2枚目の、『舘野泉 with 平原あゆみ、アイノラ抒情曲集−吉松隆の風景』というタイトルのCDは、吉松隆さんの作曲によるものです。
 
このCDは、全26曲のうち5曲が、舘野さんの唯一の弟子である平原あゆみさんと共演の三手連弾(低音部が左手、高音部が両手)となっています。四手、八手、十六手などさまざまあるピアノ連弾ですが、三手連弾は前例がなかったそうです。
 
2004年の秋、ピアニストとしても優れた才能をお持ちの美智子皇后陛下と、あるコンサートで連弾をさせてもらう機会があり、そのために吉松さんに『子守唄』という三手連弾曲を書いてもらったのが、三手連弾版作品のそもそもの始まりだったそうです。
 
CDの解説書に次のようにあります。『昨年(2006年)の5月、札幌でのコンサートのアンコールに、4年半ぶりに右手も使ってみた。曲は《アイノラ抒情曲集》第5曲の〈モーツァルティーノ〉。練習したわけではなかったが、ふと、これなら弾ける、と思ったのだ。弾き終えると、客席にいた妻のマリアが目にいっぱいの涙を浮かべていた。それから半年を経て作った今度のアルバムでは、《アイノラ抒情曲集》の多くの箇所で右手を添えてみた。弾いていると、右手に、いま萌えだした若葉のように優しい感触がある。まだ力はないけど、どこまで育ってくれるだろうか・・・』
 
              ***
 
著者が住む鹿児島県さつま町とその隣の霧島市横川町にまたがる山間一帯は、江戸時代、佐渡と並んで日本を代表する金山の一つだった山ヶ野(やまがの)金山のあったところでした。著者が、舘野泉さんのことを知るきっかけとなったのが山ヶ野金山の取材でした。
 
明治の終わりから昭和初期にかけて隆盛を極めた永野金山(島津鉱業)の物資を取り扱う運送業におじいさんが携わっていたという水口さんのご自宅をさつま町永野に訪ねました。自動車がまだ珍しかった昭和4年(1929年)の写真に、米国フォード社製のトラックと一緒に小学生の姿で写っている方です。
 
金山のお話しを聞き終えて退去させてもらおうと思ってふと見ると、部屋に若い女性の写真が飾ってあります。お話しを伺うと、水口さんのお孫さんで、 平原あゆみさんは、1981年鹿児島生まれ。
 
桐朋学園大学卒業。第46回南日本音楽コンクール優秀賞、第8回日本クラシック音楽コンクール全国大会入選、第9回フッペル平和祈念鳥栖ピアノコンクールグランプリなどを受賞。06年5月東京にてデビューリサイタルを行い本格的な演奏活動を始める。
 
現在、舘野泉さんのもとで唯一の弟子として研鑽を積んでいる。舘野さんの文章に、『彼女は大地から湧き上がるような情熱としなやかな抒情性を併せ持つ逸材。大樹としてゆっくり育っていってほしいと願っている』とあります。
 
旅や小旅行やお出かけをすると何かとの出会いがあります。その出会いが縁でまた新しい出会いや発見を作ってくれます。左手で紡ぐピアノ曲もそうした出会いの一つでした。
 
【参考】
・購入した2つのCDに付録の解説書およびジャケットの帯の文章を参考にし、一部転載させて頂きました。
・舘野泉さんの公式ホームページ(Izumi Tateno)のアドレスは
    → http://www.izumi-tateno.com/
平原あゆみさんのプロフィール 
 (平原あゆみさんのブログ 〜Ayumi Hirahara's DIARY〜
 

  2007.05.30 
あなたは累計
人目の訪問者です。
 − Copyright(C) WaShimo AllRightsReserved.−