エッセイ | ・悲しげな西瓜 |
− 悲しげな西瓜 −
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父と母はまたスイカ(西瓜)づくりの名人でした。毎年、美味しい大玉のスイカをつってくれました。スイカの収穫はちょうど夏休みが始まる7月20日頃がピークでしたから、夏休みに入ると、早朝、朝霧の中を母に連れられてよくスイカちぎり行ったものでした。 まずは大玉になったののお尻をのぞます。お尻が黄色くなっている中から、人差し指でポンポンとはじくように叩いて熟れているのを選びます。母がそうすので、とりあえず私もそうやってみます。小学校高学年の私が両腕でやっと抱えきれるぐらいの大玉を2つ背負い籠(かご)に入れると籠はしなり、背中に重みがずっしりときます。 スイカは連作できない(毎年同じ畑で栽培できない)作物なので、あちこちの畑を使っていました。そのため、スイカ畑は毎年、家から1キロ以上も離れたところにありました。道は上がり下りの山道。何度も休憩を取りながらやっとの思いで家まで運んだものでした。 家に帰ると土間に並べ、あとで食べるのを早速井戸で冷します。大玉なので容器はたらいを使いました。10時頃になって冷えたところを見計らって包丁を入れると、採れたてのスイカは決ってスイカ特有の爽やかな香りがしました。この香りは店で買う最近のスカイではなかなか経験できない香りでした。 当時は黄色いスイカもありました。赤と黄色のスイカが自然交配したのかも知れません、割ってみると橙色のスイカもありました。スイカは土門にいくらでも転がっているので、たらふく食べられました。一度に大玉の四分の一を食べても父や母は特に何も言いませんでした。こうして私はスイカが好きになりました。 サイコロのように真四角なスイカが生産されているそうです。”四角 スイカ”でネット検索すると、ずらっと並んだ四角いスイカの写真を見ることができますのでご覧下さい。小さい頃からの夏の思い出とともにあるスイカはあくまでも丸いので、四角いスイカの写真を見ると、珍しいな〜という好奇心より違和感の方が先に立ちます。 確かに四角だと扱い易いし座りも良い。冷蔵庫などに収めるときの空間占有の効率も良いです。でも四角いスイカを冷蔵庫に入れることはなさそうです。というのは、食べられない、もっぱら陳列のためのスイカだからです。 四角いスイカはまだ実が小さいうちに、四角いプラスチック製の容器に入れて育てられます。日持ちさせるために未熟な段階で収穫するため食用には向きません。デパートや果物店の店先に並べる観賞用として人気があり、1玉約1万円で取引されているそうです。 四角いスイカは四国のJAで本格生産されているそうです。珍しがる人がいるので、デパートや果物店が購入して店先に陳列する。購入するデパートや果物店があるから、本格的に生産されているということでしょうが、果物は美味しく食されてこそ本望なのではないでしょうか。 白洲正子さん(1910〜1998年)の著作に『夕顔』と題するエッセイがあります。夕顔の蕾(つぼみ)が開く瞬間を見たかった白洲さんは、夕方から椅子を引っ張り出してきて、数時間じっと凝視し続けます。ところが、そうすると夕顔は花開くどころか、しだいに萎(しお)れ、ついには、蕾のままぽとりと地面に落ちてしまいました。 どうもデリケートで恥ずかしがり屋の夕顔は、人間に凝視されることに耐えられないらしい、と白洲さんは考察します。1966年に、米国のクリーヴ・バクスターという人は、ウソ発見器の電極を接続された植物の葉が、周囲の人間の感情や意図に電気的反応を示すことを発見したそうです。 そんな話などが紹介されている本を引き合いに出しながら、白洲さんは、『極くありふれた植物にも感情や知性があり、他の生物とコミュニケートする能力がある。そればかりか、人間が考えていることを予知することさえできる』のだ、とエッセイに書いています。 四角いプラスチック製容器に入れられたまだ小さいスイカの実の、”のびのびと丸いスイカに育ててよ”というつぶやきが聞こえて来るようです。感じ方は人それぞれ。『そんなに深刻に考えないでよ! ジョークじゃないの』というささやき声が背後から聞こえてくるようですが、スイカに、それも丸いスイカに愛着を持ってきた私には、四角いスイカはやはり悲しげに映ります。 |
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