レポート  ・蘇(そ)   
 
− 蘇(そ) −
”本当の面白さ”、”最高の味わい”といったことを意味する言葉に『醍醐味』(だいごみ)という言葉があって、『旅の醍醐味を味わう』、『それこそマリンスポーツの醍醐味であろう』などと使います。醍醐味は元々は、涅槃経(ねはんきょう)に説かれる仏教用語で、『大般涅槃経』(だいはつねはんぎょう)につぎのようにあるそうです。
 
〜 牛より乳を出し、乳より酪(らく)を出し、酪より生酥(せいそ)を出し、生酥より熟酥(じゅくそ)を出し、熟酥より醍醐(だいご)を出す、仏の教えもまた同じく、仏より十二部経を出し、十二部経より修多羅(しゅたら)を出し、修多羅より方等経(ほうどうきょう)を出し、方等経より般若波羅密(はんにゃはらみつ)を出し、般若波密より涅槃経を出す 〜
 
仏教では、乳を精製する五段階を五味といい、乳(にゅう)、酪(らく)、生酥(しょうそ)、熟酥(じゅくそ)、そして醍醐の順に上質で美味しいものとなり、最後の醍醐で最上の味を持つ乳製品が得られたとされました。
 
醍醐は、純粋で最高の味であることから、『醍醐のような最上の教え』として、仏陀の教法にたとえられ、十二部経、修多羅、方等経、般若波羅密、涅槃経とある経典の中で、涅槃経が最後にして最高のものであるとしてたとえられ、最上の仏法として、『醍醐味』と呼ぶようになりました。そこから転じて、醍醐味は『本当の面白さ』や『神髄』を意味するようになったわけです。

 
さて、最上の乳製品である醍醐を製造する前段階の乳製品が『蘇』(あるいは酥)で、蘇(そ)をさらに熟成・加工して醍醐がつくられました。その蘇は飛鳥時代の文武天皇期( 697〜 707年)に作られていたという記録があるそうです。
 
牛乳が飛鳥時代に朝鮮半島より伝来していますので、蘇の作り方も帰化人から伝わったのでしょう。日本初のチーズということになります。平安中期に編纂された律令の施行細則である『延喜式』(えんぎしき、905年に編纂が始められ、927年に完成)に、納税に用いる蘇の製造が規定されているそうです。
 
典薬寮の乳牛院という機関が生産を担っており、薬や神饌(しんせん=神社や神棚に供える供物)として使われていたそうです。主な生産地として、摂津国・味原(あじふ)の乳牛牧(ちゅうしまき)がありました。
 
現在の大阪市東淀川区の一部で、平安時代から乳牛を飼育し、典薬寮乳牛院に所属して、ヨーグルトやチーズに類する乳製品(酪や蘇)を貢納するとともに、毎年雌牛・子牛を乳牛院に送致していたそうです。
 
牛乳を電子レンジや鍋で温めると表面に膜が張ります。この現象をラムスデン現象といい、蘇は、ラムスデン現象によって牛乳に形成される膜を箸(はし)や竹串などを使ってすくい取ってつくりました。加熱するだけで熟成を行わないため、フレッシュチーズに分類されるそうです。なお、同じ工程を豆乳を使って行った場合にできるものに湯葉(ゆば)があります。
 

  
最近の愛読書の一つだった高田 郁(たかだ かおる、女性小説家)氏の連作時代小説『みをつくし料理帖シリーズ 』(ハルキ文庫)は、2009年5月、第1巻『八朔の雪』の発売から5年、第10巻『天の梯』(2014年8月発売)で完結しました。実は、完結巻に”蘇”が登場するのです。
 
ヒロインである女性料理人・澪(みお)の大恩ある元奉公先の女将・芳(よし)の再婚先料亭・一柳の主人が、公方様だけしか口にできない”蘇”を密造したかどで捕らられて騒ぎになります。
 
結局濡れ衣だったことがわかり事件は落着するのですが、ちょうどこの小説を読んでいた今年(2015年)4月、奈良から帰省された方に、みをつくしの小説で初めて知ったばかりで、見たことも食べたこともない”蘇”という珍しい食べ物を期せずして、ご馳走になったのでした。
 
初めての不思議な食感。酸味ながら、ほのかに甘い濃厚な味がしばらく舌に残りました。蘇は、庶民が口にできるようなものではなく、超高級食材として貴族の宴席で振舞われたり、薬のようなものとして食されたりしたのだそうです。しかし、いつの頃からか製造されなくなり、幻の食べ物となっていましたが、近年になって奈良や宮崎(都城市中西牧場)で少量ながら生産されているそうです。
   
奈良のお土産に頂いた『蘇(そ)』2015.04.15撮影

  2015.07.08
あなたは累計
人目の訪問者です。
 − Copyright(C) WaShimo All Rights Reserved. −