レポート  ・渋谷と鹿児島 〜 渋谷おはら祭り   
− 渋谷と鹿児島 〜 渋谷おはら祭り −
5月中旬になると、東京渋谷で『渋谷・鹿児島おはら祭り』が開かれます。NPO 法人『渋谷・鹿児島文化等交流促進協議会』(渋谷区代々木)が主催するもので、第10回の今年(2007年)は、5月12日(土)13日(日)の両日、50数連、約2000人が渋谷道玄坂を歩行者天国にして、おはら節や鹿児島ハンヤ節のリズムに合わせて踊り歩き、沿道の観客を中心にイベント中の観客は約50万人に達したそうです。
 
実行委員会の公式ホームページで、昨年(第9回)の写真アルバムなどがみれるので覗いてみましょう(音が出ます)。
 
・「渋谷でおはら」渋谷・鹿児島おはら祭実行委員会へようこそ!
  → http://www.shibuyadeohara.jp/index.html
 
なぜ、渋谷で鹿児島おはら祭りなのでしょう。祭りが始まった当時の渋谷区長が鹿児島県人の血を引く方だったことや、ハチ公の初代銅像を造った彫刻家の故安藤照氏が鹿児島出身だったこと(初代銅像は戦争の金属供出で喪失し、ご子息の安藤士氏が現在のものを再造した)などが知られていますが、一見、何の関係もなさそうな渋谷と鹿児島が、実は昔から強い歴史的なつながりを持っていたことを知る人は少ないでしょう。
 
鎌倉時代、渋谷一帯を治めていた渋谷光重は、宝治元年(1247年)の合戦(執権北条氏が御家人三浦氏一族を滅ぼした事件)の恩賞として、北薩摩の祁答院(けどういん)・東郷(とうごう)・鶴田(つるだ)・入来院(いりきいん)・高城(たき)の穀倉地一帯の地頭職を与えられます。
 
6人の男子があった光重は、長男重直のみを本領の相模国に留め置き、他の5人を北薩摩に下向(げこう)させます。5人の兄弟は、それぞれの地名を名字として、守護島津氏と拮抗する薩摩の雄族となり、渋谷五宗と呼ばれました。
 
・情報 Information  渋谷五兄弟の根拠地
  → http://washimo-web.jp/Information/Shibuyashi.htm
 
渋谷五宗のうち、鶴田氏、高城氏、祁答院氏、東郷氏は、16世紀後期までに滅びてしまいますが、入来院氏だけはその後も繁栄を続けます。16世紀中期頃に島津の軍門に下るものの、近世は島津大名家御家門の一に数えられます。関ヶ原の戦いの敵陣突破などで有名な島津義弘公の母(雪窓夫人)は、入来院家の出でした(11代当主入来院重総の娘)。入来院氏は、鎌倉以来明治維新までの 620年余りに渡ってその社稷(しゃしょく)を全うしたのでした。
 
中世の名残をよく残す入来麓の町並みは、平成15年(2003年)に重要伝統的建造物群保存地区(武家町)に選定され、入来院氏が本拠とした中世の山城・清色城(きよしきじょう)跡も、平成16年(2004年)に、国の史跡に指定されました。
 
・玉石垣の武家屋敷群 − 鹿児島県薩摩川内市入来麓
  → http://washimo-web.jp/Trip/Iriki/iriki.htm
 
さて、著者が通勤で朝夕行き帰りする薩摩川内市東郷の国道 267号の道路脇に『東郷元帥祖先由来の地』という標識が立てられています。近くに、日露戦争で有名な東郷平八郎の祖先の渋谷東郷氏第5代重親公の墓があり、元帥直筆による石碑があるのです。
 
東郷平八郎を祭神とする神社は、全国各地に建てられているようですが、最も高名な渋谷区神宮前一丁目の東郷神社は、まさしく元帥ルーツの地に建立されたということになります。
 
なお、渋谷には渋谷駅からすぐのところに、渋谷氏由来の『金王八幡神社』(こんのうはちまんじんじゃ)があって、毎年9月中旬には、例大祭が賑やかにおこなわれるそうです。5兄弟の北薩摩下向よりさかのぼること約 150年の寛治六年(1092年)に、かつて渋谷氏の館であった渋谷城の跡地に、渋谷家の祖・河崎基家によって創建されたといわれます。
 
渋谷は、若者たちが賑やかに闊歩する、若者の街。しかし、ハチ公前交差点から雑踏をそれて3分も歩くと、山手線のガード下は静かな路地です。その路地の餃子の王将の横に、丸に十の字の暖簾をひっそりとさげた、由緒正しいオヤジの店といった感じの『さつまや』というお店があります。さつまあげやとんこつ(黒豚の角煮)、きびなご料理などを肴に、渋谷で芋焼酎はいかがでしょうか?
 
・さつまや(薩摩・鹿児島郷土料理)〜渋谷とっておき!!〜
  → http://www.totteoki.jp/shibuya/satsumaya.htm
 
下記ページで、
第12回渋谷・鹿児島おはら祭(2009.5.17)の様子が見れます。
→ http://washimo-web.jp/Trip/ShibuyaOhara/shibuyaohara.htm
 
【参考】
・渋谷と鹿児島、歴史のかかわり
→ http://welcome-shibuya.net/event/ohara/2003/history.html
・入来花水木会代表、入来院貞子氏の講演『下向後の渋谷氏の消長』資料
 

  2007.05.30 
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