レポート  ・ 佐藤一斎と言志四録   
 
− 佐藤一斎と言志四録 −
 
佐藤一斎(さとういっさい
 
1772〜1859年。江戸時代後期の儒者。美濃(現在の岐阜県)の岩村藩家老・佐藤文永の子として江戸藩邸内で生まれる。早くから読書を好み、書をよくし、藩主・松平乗薀(のりもり)の子の林述斎(じゅっさい)とともに学ぶ。林家の塾頭をへて、昌平黌(しょうへいこう)教授となり、述斎が没すると昌平黌を統括する儒官(いわば現代の東京大学総長に当たる職)を命じられ、広く崇められた。
 
立場上表向きは朱子学を標榜したが、実際には王陽明らの影響を深く受け、学問仲間から『陽朱陰王』と呼ばれた。門下生は 3,000人といわれ、山田方谷、佐久間象山、渡辺崋山、横井小楠など、いずれも幕末に活躍した人材を弟子として輩出している。
 
言志四録(げんししろく)
 
一斎が40代から80代にかけて著した『言志録』『言志後録』『言志晩録』『言志耋録(てつろく)』を総称して『言志四録』と云い、『人生いかに生きるか』の視点から生き方の原理原則が説かれ、修養処生の書として古くから愛読されている。特に明治維新で活躍した人たちに大きな影響を与え、なかでも南洲翁(西郷隆盛)が愛読し、後の大西郷の礎を築いたことはよく知られている。
 
島津久光に嫌われて、奄美諸島の沖永良部島に流罪となった西郷隆盛は、最初は久光を恨んでばかりいましたが、川口雪篷(せっぽう)という学者に出会ったのがきっかけで、流罪になるとき持ってきた『言志四録』を繰り返し読むようになり、心が変わっていったといわれます。
 
西郷隆盛は、1133箇条ある言葉(格言)の中から特に感動した 101箇条を選んで書き写し、自分だけの『言志四録』(南洲手抄言志録 101箇条)をつくって人生のいましめにしました。西南の役で故郷鹿児島の城山で自刃するまで、橋本左内の手紙とともに、この佐藤一斎の『言志四録』手抄 101箇条を、肌身離さず身につけていたといわれます。
 
以下に、いくつかの言葉(格言)を列挙しました。
 
少而学。則壮而為有。
壮而学。則老而不衰。
老而学。則死而不朽。
 
( 少にして学べば、則(すなわ)ち壮にして為すこと有り)
( 壮にして学べば、則ち老いて衰えず)
( 老いて学べば、則ち死して朽ちず)

 
若くして学べば、壮年になって世のため、人のために役に立つことができる。壮年 になって学べば、年をとっても衰えない。歳をとり老いて学べば、死んでもその精神は朽ちることなく(業績や名前として)永遠に残る。(言志晩録60条)
   
以春風接人。
以秋霜自粛。
 
(春風を以って人に接し)
(秋霜を以って自らつつしむ)

 
人にはさやかわで温かい春風のように接し、己には秋の霜の寒い身の引き締まるような凛とした厳しさで向き合い、自分を慎みなさい。(言志後録33条)
   
寒暑栄枯。天地之呼吸也。
苦楽栄辱。人生之呼吸也。
 
(寒暑・栄枯は天地の呼吸なり)
(苦楽・栄辱は人生の呼吸なり)

 
寒かったり暑かったり、草木が茂ったり枯れたりするのは天地が行う呼吸である。 同じように、人の苦しみや楽しみ、栄誉や屈辱は人生の呼吸である。呼吸するのは 生きているからであり、人生良いときもあり悪いときもある。(言志耋録87条抜粋)
   
理会気象。便是克己工夫。
 
(気象を理会するは、便(すなわ)ち是れ克己の工夫なり)

 
いったい自分はどんな人間なんだろう。自分の性格や特性をきちんと知るというこ とは、感情に負けず自分をコントロールするための工夫をするということである。(言志耋録39条抜粋)
   
忿、猶火。
不懲将自焚。

(忿(ふん)は猶(な)お火のごとし)
(懲(こ)らさざれば将(まさ)に自ら焚(や)けんとす)
 
忿(ふん)=怒りは、まさに火のようなものだ。もし着火したら早いうちに消さな いと、自分自身の心を焼き殺してしまう。(言志耋録62条抜粋)
   
以眞己克假己。天理也。
 
(真の己れを以て仮の己れに克つは、天理なり)

 
心の奥底にある良心や正直さ、調和を求めるのは、自然な心の動きである。本来の 自分を見失わず、感情や欲望に振り回される仮の自分に打ち勝つことは、人として 大事なことである。(言志耋録39条抜粋)
   
人皆知洒掃一室。
而不知洒掃一心。
 
(人は皆一室を洒掃(さいそう)するを知って)
(一心を洒掃するを知らず)

 
世の中の多くの人は、自分の部屋を掃除してきれいにすることは知っていても、自 分の心をきれいに洗い清めることは意外に知らずにいるものである。(言志晩録223条抜粋)
   
不必干福。
以無禍為福。
 
(必ずしも福を干(もと)めず)
(禍(か)無きを以(もっ)て福と為(な)す)

 
必ずしも幸福を求めずとも、不幸なことが起こらないこともまた、幸福だと知る必 要がある。(言志耋録154条抜粋)
   
視以目則暗。
視以心則明。
 
(視(み)るに目を以(もっ)てすれば則(すなわ)ち暗く、)
(視るに心を以てすれば則ち明(あきらか)なり)

 
物事を見るとき、目に映っていることだけで理解しようとすれば本当の姿を理解できない。心の目で見ようとすることで、物事の真実がやっと見えてくる。(言志耋録71条抜粋)
   
處晦者。能見顕。
拠顕者。不見晦。
 
(晦(かい)に処(お)る者は能(よ)く顕(けん)を見る)
(顕に拠(よる)者は晦を見ず)

 
暗闇から明るいところはよく見えるけど、明るいところから暗闇の中はよく見えな い。つらく苦しい状態にいると人の悩みや苦しみがよく見えるけど、調子が良いと きには、人のつらい気持ちにはなかなか気づきにくいものである。つらい思いをし ている人の気持ちをいつも考えられる人になりたいものである。(言志後録64条)
   
無。不生於無。而生於有。
死。不死於死。而死於生。
 
(無は無より生ぜずして、而(しか)も有より生ず)
(死は死より死せずして、而も生より生ず)

   
もともと無いところに『無い』という実感はない。今まであったものが無くなって はじめて『無い』という実感が生まれる。もともと生のないところに『死』の実感 はない。今まで一緒に生きていたということがあって『死』の実感が生まれる。ど んなに悲しくても必ず時が経つ。そしてまた、新しい出会いが生まれる。(言志晩録288条)
   
提一燈。行暗夜。
勿憂暗夜。
只頼一燈。
 
(一燈を提げて暗夜を行く)
(暗夜を憂(うれ)うること勿(なか)れ)
(只(た)だ一燈を頼め)

 
一個の提灯をさげていれば、夜の道も、暗い闇も怖がることはない。自分の足下を 照らすその明りを頼りに進めば良い。自分自身の生き方を信じて進めば、どんな時 代や環境においても惑うことがない。(言志晩録13条抜粋)
 
次の旅行記が参考になります。
 
 ■旅行記 ・岩村を訪ねて − 岐阜県恵那市
    → http://washimo-web.jp/Trip/Iwamura/iwamura.htm
 
【参考図書】
・NPO法人いわむら一斎塾編著/吉田公平監修『やる気がでてくる小学生のための 言志四録』
(PHP研究所、2011年6月第1版第1刷発行)
 

  2013.10.16
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