コラム | ・三献の茶 〜 三成と秀吉 |
− 三献の茶 〜 三成と秀吉 −
|
||
織田信長や豊臣秀吉の家臣には近江出身者がたくさんいました。彼らは近江衆と呼ばれ、特に秀吉に重用されました。中でも、現在の長浜市石田町に生まれた石田三成は、秀吉の長浜城時代に家臣となり、26歳の若さで奉行に抜擢されて以来、主に行政面で秀吉を支え、豊臣政権五奉行の一人として活躍しました。 長浜城主となった羽柴秀吉が、鷹狩の途中に観音寺(米原市朝日町)へ立ち寄ると、汗をかいた様子の秀吉を見た寺小姓の少年が、大きな茶碗にぬるいお茶をなみなみと注いで持ってきました。 秀吉がもう一杯頼むと、少年は先ほどよりも少し熱いお茶を、茶碗に半分ほど注いで差し出しました。そこで秀吉が、さらに一杯所望したところ、今度は小さな茶碗に熱いお茶を入れて出しました。秀吉は、茶の入れ方ひとつにも気を配る少年を気に入り、召し抱えました。 この少年が、のちに石田三成となる佐吉少年でした。この話は『三献の茶』として、今も語り継がれています。JR長浜駅前には、『秀吉公と石田三成公 出逢いの像』が建てられ、『三献の茶』の話が紹介されています。
|
|