コラム  ・歳末の風景   
 
− 歳末の風景 −
 
〔餅つき〕
 
勤務が休みの日に一人で餅をつくから、(電動)もちつき機を出しておいてと連れ合いに頼まれました。臼と杵でつく昔の餅つきだったら、庭に窯を据える作業から始まる半日以上を要する家族総出の仕事になり、とても一人でというわけにはいきませんでした。
 
   火男もこなしておとう餅をつく  ワシモ
 
子供たちの狙いは角せいろから取り出したおこわの盗み食い。お強飯(おこわめし)がその語源になっているように、餅米の蒸し立ては、うるち米で炊き上げたご飯に対し、独特のもちもちとした食感と甘味があって美味しかったものでした。
 
親戚が本家などに集って正月を祝う習わしが盛んだった頃は、その際に持参するというので、暮れの餅つきでは鏡餅をたくさん作りました。鏡餅は神事などに用いられた青銅製の鏡に似せて平たい円形につくられるので、それを持ち運びするのに風呂敷が重宝されました。
 
最近は鏡餅をやり取りすることもなくなり、矩形(くけい=正方形と長方形の総称)に作られるようになり、もはや鏡餅と呼べなくなったわけですが、この形の方が保管するのに収納効率が良かったり、ラップで巻き易かったり、小さく切るのに切り易すかったりということでしょう。
 
〔柚子(ゆず)〕
 
今年(2013年)の冬至は22日(日)でしたが、日曜日ということで出かけていて、柚子をお風呂に浮かすのをうっかり忘れてしまいました。そのことを会話に取り上げると、冬至の日でなくても柚子湯は焚けるよ、今年は柚子がたくさん生っていると連れ合いがいいます。
 
”今年は”というのは、柑橘(かんきつ)類には、果実の成り年(表年)と不成り年(裏年)を交互に繰り返す『隔年結果性』という性質があって、柚子はその性質が強い種類の1つなのです。
 
柑橘類では、新梢(しんしょう、春になって新しく伸び出た枝)の先端部の葉の付け根に花芽がつけますが、前年果実をつけた枝の葉の付け根には花芽がつきません。したがって、成り年の翌年は花芽のついた枝が少なくて不成り年となり、不成り年の翌年は花芽のついた枝が多くなるので成り年となります。
 
3月に柚子の木の選定をするときには、やみくもに枝を切り落とすのではなく、前年に実を付けた枝のうち、長く伸びた枝を切り詰め、前年に果実をつけなかった枝は残すようにするのがコツだそうです。
 
〔門松〕
 
松の若木を保護する観点から門松を止めようという運動が盛んに行われた時期があって、以前からすると門松を立てる家が少なくなっているようですが、この時期になると著者の住む鹿児島県さつま町では、ミニ門松作りがピークを迎えます。
 
門松は、単なる正月飾りではなく、古くは、木のこずえに神が宿ると考えられていたことから、歳神を家に迎え入れるための依代(よりしろ、歳神が宿る安息所)という意味合いがあります。
 
門松の設置は『松の内』に入る12月13日以降ならばいつでも良いとされますが、クリスマスの日は避け、また12月29日は9が『苦』に通じるので縁起が悪く、31日に飾るのは『一夜飾り』『一日飾り』といって神をおろそかにするということから、それぞれ避けるようにされているようです。
 
わが家では今年も、三本たばねの竹に、松、梅、ゆずり葉、センリョウ、カリフラワーを使ったフラワーアレンジメントで自作の門松をつくりますが、松も山に若木が見当たらないので、門松用に栽培され市販されているものを買い求めています。
 
『門松は冥途の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし』(門松を飾って新年を迎えることはめでたいことではあるが、新年を迎えることは一つ歳をとることであり、墓に向かう一里塚のようでもある)と詠っているのは、とんち話しで有名な一休さん(一休宗純)であります。
 
今年(2013年)制作の門松
 
〔イルミネーション〕
 
山裾がすぐそこまで迫ってきている、山間の谷のはざまの田んぼのことを『迫田』といいます。迫田でとれる米は、山の綺麗な湧水が流入することからとても美味いといわれます。
 
5kgの袋詰めながら毎年、迫田産の新米を頂いていましたが、それも今年までだと言われました。最近、里山の崩壊で猪や鹿が出没して田を荒らすようになり、迫田での稲作が困難になってきているのです。
 
   迫の田のルミナエルめく聖夜かな  ワシモ
 
世は情報化の時代。こんな田舎でも、あの神戸のルミナエルのような美しい聖樹の灯に憧れるのは人情。水田に水を張ってイルミネーションが設えられます。

  2013.12.25
あなたは累計
人目の訪問者です。
 − Copyright(C) WaShimo All Rights Reserved. −