レポート | ・甑島日記とジェフリー・アイリッシュさんのこと |
− 甑島日記とジェフリー・アイリッシュさんのこと −
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1.下甑の風景 鹿児島県薩摩半島の約38km西方の東シナ海に浮かぶ甑島(こしきじま)列島は、上甑島・中甑島・下甑島の主なる3島と、付属するいくつかの島からなります。その下甑島で伝承されている年越し行事『トシドン』を見学に行ったのは、2011年の大晦日のことでした。 通常は天上界にいて子供たちを見守っている『トシドン』という年神様の化身が、大晦日の夜になると下りてきて、子供たちのいる家をまわって、良い子でいるか聞き質(ただ)します。子供たちが恐ろしい形相の『トシドン』を真実怖がって真剣に受け答えする様は、ユネスコ無形文化遺産に登録されているだけあって、感動そのものでした(”トシドン”でネット検索すれば旅行記がみれます)。 その行事は夜になって行われるので、昼間は島内観光に連れて行ってもらい、手つかかずの自然、奇岩が独特の様相を呈するダイナミックな断崖、藩政時代の面影を今に伝える武家屋敷通りなど、下甑島の風景を写真におさめました。 それらのせっかくの写真を一年も放ったらかしにしたままだったので、一念発起して旅行記の作成を始めました。その編集中、ネット検索で出合ったのが、米国人のジェフリー・S・アイリッシュさんの著書『アイランド・ライフ─海を渡って漁師になる・甑島日記』(淡交社、1997年5月発行)でした。 2.甑島日記 いつか、日本の田舎で暮らしてみたいと思っていた著者のジェフリーさんは、ニューヨークのマンハッタンの日本料理店で行なわれた友人の結婚式で、下甑島の村長さんと知り合いになり、下甑島に来てみないかと誘われます。そして、夢を叶えるなら今だと決心して、3年後の1990年、30歳の時、下甑島に渡りました。 下甑島の手打(てうち)で、3年間を定置網の漁師として過ごしながら、方言や地域の風習、文化などを学びます。ジェフリーさんにとって、島での生活は、驚きと発見の連続でした。それらのことや島の生活や暮らしぶりの様子が本に綴られています。 部屋のテーブルの向こうに置かれたテレビの画面の大きさにはびっくりした。タクシー同様、私の持っていた日本の田舎というイメージを全く変えてしまった。九州の西南五十キロの沖合に位置する忘れられたような島の人口わずか千人の集落に、現代の科学技術が入っていようとは想像すらしていなかった。 私の持っている日本語の語彙(ごい)は、学究的なものや都会的なものが多かった。この島に来て、海や大地や雲の形などに関する、全く新しい言葉に出合うことに喜びを感じた。 島の人たちは、私がこれまで耳にしたことのない言葉を使っていた。ほとんど身ぶり手ぶりから何かをくみ取るしかなかった。 旧式の五右衛門風呂は、家の外に建て増した、隙間風の入る板張りの小さな風呂場だった。私はまるで蜘(くも)になった気分でそれに入った。 ミネさんから買ったウエット・スーツをつけて、素潜りを始めてから、私は、海を内側から感じるようになった。海の中では、私はそこに生きるあらゆるものと同じ存在になって、純粋にただ生きているだけだった。 東京に行く機会があった私は、風邪で気分が悪くなり一瞬ふらっと駅のホームに倒れ込んだ。しかし、声をかけてくれる人は一人もいなかった。私は、島の人たちの親しみのこもった友情が懐かしかった。 民宿ミチでは夕食の準備を手伝いながら大相撲のテレビ観戦に夢中になった。相撲の儀式や慣例、力士たちの特徴、力の入れ方とバランスのむずかしさなどがわかってくるにつれて、このスポーツの熱烈なファンになった。 僧職というものが、他の仕事と同じように職業のひとつであり、手打のその寺はその家業を行なうための場所であることに驚いた。 この島に来るまでは、魚の頭を敬遠していたが、島の漁師から、魚の頬骨の下や目玉がおいしいことを教えられた。 彼女は、島なまりで話す私をからかった。いっしょに笑っている私は、方言を使う楽しさと、言葉を短くすることを知り、島言葉の暖かさを感じて幸せだった。 3.ジェフリー・S・アイリッシュ(Jeffrey S. Irish) 1960年、米国・カリフォルニア州生まれ。ノンフィクションライター、民俗学研究者、鹿児島国際大学准教授。エール大学在籍中、日本に興味を持ち、日本史を専攻。黒澤明や小津安二郎の映画や、夏目漱石、島崎藤村などの文学に親しむ。卒論テーマは『市川房枝』。 エール大学卒業後、日本に住みたいと思い、清水建設に入社。本社で2年働いた後、ニューヨーク勤務となり、他のスタッフとともに現地法人を設立し、5年後には副社長に昇進。しかし、この順風満帆のエリートコースを捨て、鹿児島の小さな島・下甑島へ。3年間定置網の漁師として生活。その後、ハーバード大学大学院修士課程に入り、民俗学の調査のため京都大学に留学。 島で漁師をしたから、今度は山里に住みたいと思い、鹿児島県内を50ccの原付に乗って散策中、開聞岳が望める素晴らしい牧場の丘に小屋が見つけて一目ぼれ。1998年、鹿児島県南九州市川辺(かわなべ)町の山間にある土喰(つちくれ)という、世帯数20戸足らずで、住民の平均年齢が80歳以上の集落に移住します。 古き良き日本の生活が残り、お互いを気遣い支え合う、昔ながらの『結いの心』が息づく集落の生活に、人類共通の価値観を見出したジェフリーさんは、13年間を土喰の集落で過し、集落のまとめ役である小組合長(自治会長)を2回務めました。現在は、川辺町高田地区に在住。2010年から鹿児島国際大学の准教授として、地域創生、まちづくりなどについて教えています。 主な著書に、『アイランド・ライフ─海を渡って漁師になる・甑島日記』(淡交社)、『里山の晴れた日』(南日本新聞開発センター)、『漂泊人からの便り』(南日本新聞社)。2009年に、民俗学者の宮本常一(1907〜1981年)の代表作『忘れられた日本人』の英訳本『The Forgotten Japanese : Encounters With Rural Life and Folklore』(Stone Bridge Press)を出版。今年(2013年)1月に、『幸せに暮らす集落―鹿児島県土喰(つちくれ)集落の人々と共に― 』(南方新社)を出版。2010年、南日本文化賞(南日本新聞社主催)を受賞。 ・YouTubeで4分半のインタービュー動画が観れます。是非ご覧下さい。 ■MBCテレビ「MBCニューズナウ」のシリーズ「この人に聞く」 (2013年2月6日放送) → http://www.youtube.com/watch?v=QBL3uAi9u1k 【参考図書およびサイト】 (1)ジェフリー・S・アイリッシュ著『アイランド・ライフ─海を渡って漁師になる・甑島日記』(淡交社、1997年5月発行、北野幸子=訳) (2)ジェフリー・S・アイリッシュ | sotokoto interview → http://www.sotokoto.net/jp/interview/?id=27 (3)共同体に幸せのヒントがある(朝日新聞、DO楽) → http://doraku.asahi.com/hito/runner2/10 |
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