レポート  ・人形浄瑠璃『国姓爺合戦』 〜 鄭成功   
− 人形浄瑠璃『国姓爺合戦』 〜 鄭成功 −
平戸市街から国道383号を10kmほど南下すれば、深い入り江となった港があります。『川の内にいるようだ』というその情景から、川内(かわち)と呼ばれるようになったこの港町は、平戸名産『川内かまぼこ』で知られる町ですが、大航海時代には多くの外国船が帆を休め、平戸港の副港として大いに賑わった港町でした。
 
この地に、中日混血児として生まれ、近松門左衛門の人形浄瑠璃の主人公となった人物がありました。中国清朝初期(1644年以降頃)、滅びゆく明王朝に最後まで忠誠を尽くし、台湾をオランダの植民地から解放した『鄭成功』(ていせいこう、チウ・マンチェク、1624〜1662年)という人です。
 
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彼の父、鄭芝龍(ていしりゅう、1604〜1661年)は、中国福建に生まれ、江戸時代の日本へ来日。台湾や東南アジアと朱印船貿易を行っていた中国商人李旦の傘下に加わります。平戸に住み、日本人田川氏の娘マツと結婚、1624年に、鄭成功が生まれます。幼名を福松、後に森と命名され、7歳の年に父によって福建に連れて行かれるまで、母親と平戸で暮らしました。
 
李旦の死後、父芝龍は、その船団を引き継いで首領となり、南海貿易を展開します。1千隻もの船を保有して武装化も進めるなど海賊としての側面も有していたといわれます。父は、息子成功に朝廷高官の道を歩ませようと考え、南京の官吏養成機関に進ませますが、時あたまも明朝末期。1644年、中国東北部から南下してきた清王朝によって明王朝が滅ぼされるに至り、成功の運命は大きく変わることになりました。
 
1645年、父芝龍は明朝の一族を擁し、福建に明の亡命政権を樹立しますが、翌年、その皇帝・隆武帝が清軍の捕虜となり殺害されると、芝龍は清に降伏します。父が投降するの泣いて止めようとする成功でしたが、父は意思を変えず、父子は別々の道をたどることになりました。中国に渡っていた母は、芝龍、成功が拠点としていた福建泉州の安平城落城とともに、自害して果てたといわれます。
 
父の残存武装勢力を引き継いだ鄭成功は、兵力を集め、明の復活を期して兵を挙げ、1650年、福建のアモイ(厦門)、金門などを奪回し、福建の東南沿岸を支配しました。大陸への反攻を連年展開する一方、膨大な軍事費を調達するため、日本、琉球、ベトナム、インドネシア、タイ、その他東南アジア各地を往来して三角貿易を拡大していきます。
 
しかし、1659年に南京に攻め入りますが、清軍に撃退されてアモイへ退却を余儀なくされます。そして、清朝廷が鄭氏の食料物資の補給路を絶つべく沿海地域封鎖令を敷くと、成功は台湾を攻め、1662年、当時台湾を占領していたオランダ軍を制圧します。
 
台湾全土を支配下に置いた鄭成功は、台湾を復明運動の根拠地とすべく、法律を定めたり、学枚を興すなどして、台湾の興隆に勉めますが、1662年、志半ばにして病没し38年の生涯を閉じました。
 
成功の事業は、息子たちによって継承されますが、反清勢力の撲滅を目指す清朝の攻撃を受けて、1683年に降伏。鄭氏一族による台湾統治は三代23年間で終了しました。一方、清朝から成功を説得するよう命ぜられた父芝龍は、成功が応じないため流罪となり、謀反律を問われ、成功が病没する1年前の1661年に処刑されてしまいます。
 
鄭成功は、現在でも中国人・台湾人にとって民族解放の英雄であり、台湾・台南駅南の広大な部分を占める名門・国立成功大学や成功路など、成功の文字が数多く使われているそうです。鄭成功と母マツを祀った『明延平郡王祠』という廟が台南にあって、昭和37年(1962年)、そこから分霊をうけ、平戸市川内町丸山に『鄭成功廟』が建てられました。
 
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父芝龍が、福建に明の亡命政権を樹立した頃、21歳になったばかりの鄭成功の堂々とした風格を見た唐王は至極気に入り、成功に王朝の姓である朱氏と、『成功』という名を与えました。そのため、『国姓爺(こくせんや)』(皇帝の姓を名乗るべき偉人の意)とも呼ばれました。
 
1715年(正徳5年)、当時63歳だった近松門左衛門は、鄭成功のモデルを主人公にした人形浄瑠璃『国姓爺合戦』(こくせんやかっせん)を完成させます。隣国である中国に題材を求めたことや、中国人と日本人の混血である主人公は、鎖国下において非常に人気を集め、大阪竹本座で17ヶ月連続興行を続けるという大ヒットになったといわれます。
 
歌舞伎化のほか、読本としても出版され、2001年には、日中国交正常化30周年記念、日活90周年記念作品として、中日合作映画『英雄・国姓爺合戦』が製作されています。
 
【出典】
・ウィキペディアの鄭成功、鄭芝龍、国姓爺合戦のページ。
台湾の歴史 第2章 明朝、鄭成功時代の台湾
英雄 国姓爺合戦−映画作品紹介
 
【参考】
下記の旅行記があります。
旅行記 ・オランダ商館時代の面影 − 平戸を訪ねて(1)
  
−追伸−
このレポートを書いてから3年半後の2010年10月、台湾・台南市にある鄭成功を祀る『延平郡王祠』(えんぺいぐんおうし)を訪ねることができました。下記の旅行記があります(2014年4月追記)
 
旅行記 ・延平郡王祠と赤嵌楼 − 台湾の旅(5
 

2007.05.09 
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