コラム  ・俳句鑑賞 春   
 
− 俳句鑑賞 春 −
南九州も今年の冬は例年に比べて寒かったです。寒さに鍛えられたのでしょうか。今年の桜は花の持ちが良かったようです。3月末に満開に近かった桜が一週間を過ぎ、さらに10日を経ようかというのに、葉を出しながら満杯の花を蓄えていました。朝晩は相変わらず花冷えですが、それでも、昼間は陽中で体を動かすと汗ばむこの時季、『俳句歳時記』(角川書店、1997年5月初版発行)を開いてみました。
 
   マダムX美しく病む春の風邪  高柳重信
 
こんな一句に遭遇すると思わずニンマリしてしまいます。行きつけの酒場の女主人でしょう。『マダムX』のX(エックス)が謎めいていて、読む人の想像力をかき立てます。『昼間は相当に暖かいが、夜や明け方は冷え込むことが多く、注意しないと風邪をひいてしまう。春の風邪は、いつまでもぐずぐずと治らない。』とあります。
 
マダムの風邪、なかなか治らないな〜。でも、少しやつれた風のマダムもまた良いな〜、などと横目で見ながら内心満足する作者であります。マダムを辞書で引いてみると、バー・喫茶店などの女主人とあり、既婚女性に対する敬称とあります。有閑マダムなどと使いますから、貴婦人の意味合いが含まれています。最近は、マダムと言わずに『ママ』と言いますが、少しニュアンスが違いますね。
 
   枕辺の春の灯は妻が消しぬ  日野草城
 
春の灯(ともし)、春の灯(ひ)、あるいは春燈には、明るく華やいだ感じがあります。そして、掲出句には艶(なまめ)かしさが漂います。それもそのはず、この句は新婚初夜をモチーフに詠まれた句なのです。
 
大正〜昭和時代の俳人・日野草城(ひの そうじょう、1901年〜1956年)は、1934年(昭和9年)、京都に実在するミヤコホテルを舞台に、新婚初夜をモチーフにしたエロティシズム漂う連作『ミヤコホテル』10句を発表しました。掲出句はその中の一句です。
 
しかし、当時は、エロティシズムの句への理解が乏しく、また、草城自身は新婚旅行などはしておらずフィクションの作でした。連作『ミヤコホテル』は、俳壇の内外に騒動を起こします。ことに、『客観写生』『花鳥諷詠』を提唱した高浜虚子の逆鱗に触れ、草城は、虚子が主宰する『ホトトギス』同人を除名されます。俳壇のみならず文壇も巻き込んだ非難・評価の論戦は『ミヤコホテル論争』と呼ばれました。
 
   花衣ぬぐや纏(まつ)わる紐(ひも)いろいろ  杉田久女
 
『花衣(はなごろも)は、花見のときに着る女性の晴れ着のこと。昔は表が白で裏が蘇枋色(すおういろ、=黒味を帯びた赤色)の桜襲(さくらがさね)の色目のことをいったが、現在は花見の時の衣服全般をいう。』とあります。
 
杉田久女(すぎた ひさじょ、1890年〜1946年)は、明治〜昭和期の俳人。鹿児島市生まれ。明治42年(1909年)結婚。絵画教師として旧小倉中学へ赴任する夫に伴って旧小倉市(現北九州市)へ移り住みます。当初、小説家を志していましたが、育児の傍ら実兄から俳句の手ほどきを受けその才能を開花させます。
 
ホトトギスに投稿してめきめきと頭角を現し、女流俳人の先駆者として有名な長谷川かな女に続く初期の女流俳人の一人になりました。ところが、久女の余りにも情熱的な個性に手を焼いた高浜虚子は、彼女をホトトギスの同人から除名します。晩年、戦後の食料難の中で栄養障害をおこし、腎臓病の悪化により太宰府市の病院で亡くなくなります。一説には精神に異常を来たしていたとも言われます。享年57歳。
 
掲出句は、久女の代表作の一つとされている作品です。花見のあと家に帰って、着物を脱いでいきます。脱ぐたびに紐が纏わり付きます。着物を脱ぐという動作を通して女性の艶やかさ、華やかさが表現されています。俳句を詠む女性がまだ少なく、女性は良妻賢母が理想とされた時代、才気に溢れ、個性的で自意識が強かったゆえに、時代の型に収まりきれず、家庭や周囲との軋轢を生んでいきます。紐は、久女の心身にまつわり付くいろいろなものに他なりません。
  

  2012.04.11
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