レポート  ・ 奄美復帰60年   
 
− 奄美復帰60年 −
奄美に住んだことはないのに、奄美を訪ねる度に懐かしさを覚えるのは何なんだろうと考えてみます。初めて奄美大島、喜界島、徳之島、沖永良部島を訪れたときの旅情− 例えば、田中一村終焉の家や島尾敏雄文学碑、喜界島の一面のサトウキビ畑等を訪ねたときの思いなど −が無意識のうちに目覚めてくるのかも知れません。
 
美しい海などの風景の中にいるときだけでなく、名瀬の街中にいるときでも奄美の時間はゆっくりと流れていきます。今回(2013年10月13日)長年の念願を叶えるべく訪ねた加計呂麻島の諸鈍シバヤの鑑賞においても、いかにも奄美らしい雰囲気の中で屈託のない時間を過ごしました。
 
そんな奄美ですが、過去に『藩政時代の薩摩藩による過酷な砂糖政策』と『終戦後の米軍による統治』という2つの辛苦の時代を経験しています。
 
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太平洋戦争終戦の翌年1946年2月から53年12月まで8年近く奄美諸島は米軍統治下に置かれました。本土との分離により換金作物や物産の販売経路の途絶などにより経済は疲弊、食糧価格が高騰し、飢餓の兆候さえ出てくる状況でした。くわえて、集会・言論の自由に対する米軍の制限が厳しさを増してきました
(1)
 
そんな中で島民の不満が高まった50年頃から奄美の復帰運動は本格的な広がりをみせていきました。翌51年2月に名瀬市(現奄美市)で奄美大島日本復帰協議会が結成されると、復帰運動は職業や世代、性別、地域の違いを超えて全島的なものになりました。
 
日本復帰を願う署名は最終的に14歳以上の住民の99.8%に達し、小中学生が血判状を提出する事態も発生したそうです。今年は奄美復帰から60年の節目の年ですが、南日本新聞(本社鹿児島市)は、『島人の魂(マブリ)』と題する奄美復帰60周年特集記事に、『プラカードを頭上に掲げ、市街地を練り歩く大島高校の生徒ら』『喜界高校生徒会が主催した祖国完全復帰喜界島民大会の一幕』とタイトルのついた写真を掲載しています(2)
 
1951年(昭和26年)8月5日、奄美の暑い夏の夜が明ける頃、名瀬市の高千穂神社の境内は、各地から続々と駆けつけた、一万人余りの人々の熱気に包まれていました。彼らは、その日まで5日間にわたり、社殿で断食を行っていた泉芳朗(いずみ ほうろう)の姿を、一目見たいと思っていたのでした。泉は、しっかりした足どりで拝殿の階段に立ち、集まった群衆を前に、自作の詩を朗読しました。
 
    ここは北緯二十九度直下、奇妙不可解な人為の緯線が
    のろわれた民族の死線に変わろうとしている
 
同年2月に結成された奄美大島日本復帰協議会の議長になった泉は、『復帰運動は、民族運動であり、民族運動は暴力に訴えてはいけない。』『我々の復帰運動はあくまで、平和主義でいこう。非暴力主義でいこう。無抵抗の抵抗でいこう』と考えていたのでした(3)。    
 
奄美の復帰運動は、島民をあげての激しいものになりましたが、その運動の内容はインドのガンジーの精神を基に無暴力主義に貫かれ、暴動などは起きず粛々と行われたと伝えられています。そして、1953年(昭和28年)12月25日、ついに奄美群島は祖国復帰を勝ち取りました。
 
               ***
 
鹿児島に初めての民放であるMBC南日本放送(鹿児島市、当時はラジオ局)が開局したのは、奄美復帰と同じ年の10月のことでした。開局したばかりの放送局は、『復帰の日の喜びを取材して放送することは、地元唯一の民放ラジオの使命である』として、現地から全国に生中継しようと企画しました。
 
しかし、米軍の統治下にあった奄美への渡航にはパスポートが必要でした。申請しても、すぐには認められず、取材班は『密航』を決断しました。アナウンサーと技術課長の2人の取材班が、鹿児島と名瀬を結ぶ十島村の船に乗船しました。取材班は、船内では救命艇の影に隠れていたといいます(4)
 
奄美に着いてからは当時の泉芳朗市長の蔭の協力もあり、取材班は、名瀬小学校校庭で行われた雨中の『復帰祝賀式典』の様子を全国に向けて無事生中継できました。
 
MBC南日本放送は、このときのスタッフの証言や取材先でのエピソード、奄美が米軍の統治下に置かれていた事実を語り継ごうとする地元の人々の活動などを、2008年(平成20年)12月25日、奄美群島日本復帰55年特別番組として『我伝えん この喜びを 〜 世界中で最も大いなるクリスマスプレゼント 〜』というタイトルで放送し、09年日本民間放送連盟賞ラジオ教養部門で優秀賞を受賞しました。
 
現在、奄美群島では、『国立公園の指定』および『世界自然遺産登録』へ向けた様々施策が展開されています。大いに期待したです。
 
【参考にしたサイト・文献】
(1)奄美群島の歴史 − Wikipedia
(2)南日本新聞(2013年10月25日、26日、27日)の朝刊『島人の魂
  (マブリ)』
(3)奄美復帰運動の父 泉芳朗(鹿児島県公式ホームページ) 
(4)奄美大島・喜界島・徳之島・沖永良部島・与論島【奄美群島情報
   サイト】→ http://amaminchu.com/topics/080916.html
 

  2013.10.16
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