レポート  ・ '07年頭雑感 − 祖国とは国語   
'07年頭雑感 − 祖国とは国語
俳句に興味を持つようになってから知った言葉が少なくありません。もちろん日本語です。例えば、『ふらここ』はぶらんこのこと、『蝌蚪(かど)』はオタマジャクシのこと、『引き売り』は行商のことです。冬の季語に『薬喰(くすりぐひ)』があります。
 
    白山に雪来しといふ薬喰  荏原京子
 
養生のため、栄養食を取ること。寒中には、鹿肉などを薬と称して食べた。体を暖め血行を良くする。と歳時記にあります。なんておもしろい言葉でしょうか。季語には、日本の風土に生きてきた日本人の季節感はもちろん、感性や美意識、倫理観や生活の知恵などが凝縮されていると思います。
 
言葉を見つけて十七文字に繋いで、感じたことや思いを表す。俳句に憧れて久しいものの、一向に入門の域を脱し切れません。これからもずっとそうなのかも知れません。
 
感じ方や思いが足らないから言葉が見つからないのでしょうか、言葉が見つからないから感じ方や思いが深まらないのでしょうか。推敲とは、言葉探し、表現探しをしながら、感じ方や思いを突き詰める繰り返しにほかならず、言葉は情緒そのもののようです。
 
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昨年、著者は、鹿児島県内のいくつかの伝統行事や祭りを見て回りました。全国から和傘を送ってもらって焼く鹿児島市の曽我どんの傘焼きや、虎や牛や鹿などの大きな張り子を作ってユーモラスなパフォーマンスを繰り広げるいちき串木野市の七夕踊、身の丈5m近くの大男人形を引き回す曽於市の弥五郎どん祭りなどなど。
 
どの行事や祭りを取ってみても、実用的でない非生産的な行為に違いないのに、労力と時間をかけてまじめに取り組んでいる姿には、どこか滑稽ささえ感じますが、その原動力となっているのは郷土愛でしょう。
 
『祖国とは国語』というフレーズは、ご承知の通り、藤原正彦さん著の新潮社文庫本(2006年1月発行)のタイトルです。昨年(2006年)、教育基本法改正論議のなかで愛国心という言葉が焦点になりました。愛国心は、自国の国益ばかりを追求する偏狭なナショナリズム(nationalism )をも含む場合があるといい、藤原さんはパトリオティズム(patriotism)、すなわち祖国愛という語を用います。
 
自国の文化や伝統を心から愛し、故郷の山や谷や空や雲、そよ風や石ころまでを思い涙する人がどんな侵略にも反対しないということがあろうか、祖国愛や郷土愛の涵養(かんよう)は、戦争抑止のための有力な手立てでもあり、現在の政治・経済・社会・外交における困難の大半は、高次の情緒の無さや祖国愛の欠如に帰着すると藤原さんはいいます。
 
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国の財政赤字が増大し、少子高齢化が進むなかで、生徒の学力は低下、いじめ、不登校、学級崩壊、ニート、援助交際、少年非行は日常化し、不正は政官財民に蔓延(まんえん)、そして、国民一般の道徳も失墜しています。
 
そんななかで、『ゆとり教育』『人権の尊重』『個性を伸ばす』『自主性・創造性の尊重』『生きる力を育む』などの処方箋が書かれ、先生が悪い、教育委員会が悪い、親が悪い、大人が悪い、社会が悪い、時代が悪いなどと犯人探しがなされてみても、一向に埒(らち)が明く気配がありません。
 
藤原さんは、わが国の直面する危機症状は、局部的なものではなく、全身症状であり、数十年かけて落ちてきた体質を元に戻すには数十年かかるといいます。国の体質は、国民一人一人の教育により形造られる、そして国語を大事にする、ということが教育の中軸に据えられなければならいといい切ります。
 
情緒を培(つちか)い、祖国愛を育むのに、実体験だけでは時空を越えた世界を知ることができない。したがって、読書に頼らざるを得ない。まず国語なのである。万葉の頃から啄木、茂吉、朔太郎や犀星などの詩に至るまで、素晴らしい望郷の歌がたくさんあるではないか。それらを暗誦し、美しいリズムとともに、子供たちの胸にしまい込ませて欲しいと。
 
今年も時間が許す限り、各地の風景や情景、伝統芸能や行事、祭りなどを訪ね回ったり、本を読んだり、俳句に挑戦したり、記事を書いたりしたいと思います。遅まきながら、50歳半ばを越えてからのことですが、少しでも情緒を培い、祖国愛を育むことができれば良いなと思います。
 

2007.01.03 
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