エッセイ  ・夾竹桃   
 
− 夾竹桃 −
葉が長楕円形で両端がとがっていて竹に似て、花が桃に似ていることからそう呼ばれるようになった夾竹桃(キョウチクトウ)は、インド原産の常緑低木(あるいは小高木)で、日本には享保9年(1724年)に渡来し観賞用に庭園等に植栽されたようです。
  
花期はおよそ6月より9月までと比較的長く、咲く花の少ないこの時期に、ピンク、赤、白あるいは黄色のきれいな花を咲かせてくれますが、夾竹桃は、花、葉、枝、根など、すべての部分にオレアンドリン(青酸カリよりも毒性が強い)という有毒物質を含んでいて経口毒性があるので注意が必要です。
 
夾竹桃が植わっている周辺の土壌にも毒性があり、生木を燃した煙も毒で、腐葉土の中にも一年間は毒性が残るといわれます。牛など家畜が食べたりしないよう注意が必要なばかりでなく、人間が死亡した事故例もいくつか報告されています。1975年に、フランスでバーベキュー中に7人の男女が死亡するという事故が起きました。
  
調べてみると、バーベキューの串に使っていたのが夾竹桃の枝だったそうです。火に焼かれることでオレアンドリンが染み出し、肉や野菜にも染み込みそれを食べたために7人もの人間が亡くなりました。オーストラリアでもバーベキューの串に夾竹桃の枝を使用し、11名中10名が死亡しており、日本でも箸代わりに使って中毒したという事故が報告されているようです。
 
2009年の秋、福岡市の教育委員会に、『夾竹桃は有毒だから撤去して欲しい』という一通の投書が届きます。市教委が調べたところ、小中高校等の約半数にあたる約90校で植えられているというので、市教委は市立学校に植えられいる約 600本の夾竹桃を根こそぎ伐採することを決め、その後撤回するという騒ぎが起きています(他にも有毒な植物はたくさんあるので、まず教育が必要でしょう)。
  
このように注意が必要な夾竹桃ですが、それでも、乾燥や大気汚染に強いため公園や工場敷地の垣根や街路樹などに利用されています。神奈川県川崎市では、長年の公害で他の樹木が衰えたり枯死したりする中で夾竹桃だけはよく耐えて生育したため、現在に至るまで同市の緑化樹として広く植栽されています。
  
さらに、夾竹桃は、原爆で75年間草木も生えないといわれた被爆焼土にいち早く咲き、広島市民に復興への希望と光を与えてくれた花でした。原爆からの復興のシンボルとして広島市の花になっています。『夾竹桃のうた』(藤本洋作詞、大西進作曲)という歌が作られています。
  
 ♪夏に咲く花 夾竹桃 戦争終えた その日から
  母と子供の おもいをこめて 広島の 野にもえている
    空に太陽が 輝くかぎり
    告げよう世界に 原爆反対を〜♪
  
そして、この夾竹桃がスペインのいたる所に咲いていたのでした。乾燥や排気ガスなどに強いということで、日本と同様、街路樹に多く使用されていました。特に、広い道路の中央分離帯に植えられていて、スペイン南部のグラナダからセビリアまでの約200km、コルドバとセビリア間の 100数10kmの高速道路の中央分離帯に延々と夾竹桃が植えられていたので、おそらくスペイン国内の高速道路は夾竹桃でつながっているものと思われます。花の色は赤と白が大部分で時にピンクが混じっていました。
  

高速道路の中央分離帯に延々と植えられた夾竹桃(セビリア〜コルドバ間)
スペイン国内の高速道路は夾竹桃でつながっているものと思われます
ヘネラリーフェ庭園の夾竹桃のアーチ(グラナダ・アルハンブラ)
  
アルハンブラ宮殿には、ヘネラリーフェという庭園があります。グラナダの王が宮廷の雑務からのがれて憩いの時を過ごすための夏の離宮だったところです。この庭園には、夾竹桃を小道の両脇に植え、アーチ状に仕立ててつくった夾竹桃の花のトンネルがあって、涼しい蔭を作ってくれていました。
  
調べてみると面白いことに、芥川龍之介の大正8年(1919年)の『葱』という短編に、『コルドバの夾竹桃』という言葉がでてきます。レストランで働くおすましな文学少女が、初デートの途中、とても安い葱(ねぎ)が売られているのに気づき、思わず八百屋に買いに走り込むというユーモラスな小説です。
  
作者は、部屋にラファエロのマドンナの写真を飾り、『松井須磨子の一生』『藤村詩集』『カルメン』などを読んでは、センチメンタルな芸術的感激に耽(ふける)る主人公の夢見る対象の一つとして、『コルドバの夾竹桃』を登場させています(ちなみに、この主人公の少女は、13歳で最初の結婚をしたのち、数回の結婚・離婚を繰り返し、多くの恋人にその人生を彩られ99歳まで生きた女流作家の宇野千代さんがモデルだそうです)。
  
一方、セヴラックというフランスの作曲家が同年1919年に、『夾竹桃の下で』(副題:カタルーニャ海岸の謝肉祭の夕べ)という曲を作曲しています。カタルーニャは、フランスとの国境の、バルセロナを州都とする地方ですから、スペインにはこの当時から夾竹桃が植えられていて、旅情をそそる風景の一つを演出していたということでしょう。文字通りセビリアンブルーの青空の下に夾竹桃が咲き誇る風景は、今回のスペイン旅行(2011年7月7日〜14日)の忘れられない風景の一つになっています。
  

  2011.08.10 
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