情報 Information | ・山ヶ野金山 〜 谷頭製錬所 |
島津忠義は、鉱業の振興を図るため明治10年(1877年)フランスの鉱山技師ポール・オジェを招き、この場所に製錬所を設置した。動力は蒸気機関で、昼夜搗鉱(とうこう)精錬作業が行われた。だが、いろいろ問題がおこり思わしくいかず、明治13年ポール・オジェは、当山を去ることになる。以後、従来の方法により島津直営の作業が行われた。明治40年(1907年)永野に電力よる一大製錬所が完成、運転開始とともに、この製錬所は操業を停止した。 〜 説明文は、山ヶ野金山史跡めぐりパンフレットより。写真は、『山ヶ野ふれあい館』で撮影させてもらいました。 |