4月19日(日)のNHKEテレビの日曜美術館は『疫病をこえて 人は何を描いてきたか』でした。その中で、夏の風物詩・八坂神社の祭礼である京都祇園祭は疫病の流行を鎮める御霊会として始まったとありました。
平安時代前期の貞観11年( 869年)に京の都をはじめ日本各地に疫病が流行したとき、平安京の広大な庭園であった神泉苑に、当時の国の数66ヶ国にちなんで66本の鉾を立て、祇園の神を祀り、さらに神輿を送って、災厄の除去を祈ったことがはじまりだそうです。
思い出したのは、かつて疱瘡(ほうそう、天然痘)が大流行した際に県内の各地で踊られていたという踊りのことでした。天然痘はワクチンの普及で国内では1956年(昭和31年)以降の発生はなくなりましたが、疱瘡踊りは豊年祭や文化祭などで今なお踊られています。
本メルマガの著者が住む鹿児島県さつま町の船木地区では3年に一回10月に開催される豊年祭りで4集落がそれぞれの伝統芸能を踊ります。その中に『髷(ま)げ踊り』という踊りがあります。
バラ太鼓の踊り手が竹でつくった彼岸花のような旗を背負い、赤覆面をして踊るのが特徴の踊りです。疱瘡神は赤色を苦手とするという伝承があり、この踊りは疱瘡の流行を封じる祈願に踊られていた踊りです。
|