雑感  ・プール事故の本質と報道   
− プール事故の本質と報道 −
2006年7月31日、埼玉県ふじみ野市の市営プールで、吸水口に小学二年生の女子児童が吸い込まれ死亡するという事故が起きました。夏休みの、本来楽しいはずのプールでの痛ましい事故にやり切れない思いがします。
 
ずさんな管理の実態が明らかにされ、連日連夜、マスコミの槍玉に上げられました。確かに、違った管理がなされていて、事故当日の現場での対応が違ったものであったら、事故は回避されていたかも知れませんし、管理の下請けへの丸投げなど言語道断です。
 
ずさんな管理は是正されなければなりませんが、しかし、管理のずさんさばかりをクローズアップする、マスコミの一辺倒の報道の仕方は、ことの本質を見誤らせることにつながりはしないでしょうか。
 
今回の事故が起きた本質的な原因は、蓋(ふた)が外れたときの対応マニアルがなかったことや、女子高校生のアルバイト監視員が何の蓋だったか知らなかったことなどよりも、容易に蓋が外れるプールであったこと、そして、フェイルセーフの考え方に沿った安全設計がなされていなかったことにあります。
 
6〜7年前から、ボルトの代わりに針金で止められていたことは驚きです。何が驚きかと言いますと、針金で止めるというずさんさもさることながら、蓋を容易に外せて、手っ取り早く針金止めで代用できる構造であったことに唖然(あぜん)とさせられたのです。
 
2つの蓋を頑丈なヒンジ(ちょうつがい)で固定して観音開き方式にするとか、蓋を上下にスライドしてはめ込む方式にするとかして、しかも、蓋が吸水口から簡単には取り外しできない構造になっていなければならないはずです。
 
夏休み、PTA活動でプール当番を経験された方は多いと思います。その時、プールの構造を理解し、事前に対応マニュアルを読んで身構える必要があったでしょうか。木陰に日傘を差してすわり、することは、員数(いんずう)を確認し、悪ふざけをする子供がいたら注意し、所定の時間がきたらプールから上がらせることぐらいでした。
 
たとえ、今日のようにプールが大型化したとしても、本来、プール監視の仕事は、それぐらいの役割であってしかるべきであり、殺人マシーンと化すかも知れない設備の不備をアルバイト監視員の役割でカバーさせようというようなことであれば、同様な事故がまた起きかねません。
 
『あぶないプール』(三一書房)という本が出版されているようですが、危険な機械装置を使って仕事をする工場の現場ならいざ知らず、子供の遊び場であるプールは、遊ぶ人も、遊ぶ人を監視する人も、安全のことを余り気にしないですむような場であってしかるべきです。そのような環境を提供するのが、ものづくりに携わる人々の責務であり、また誇りでなければなりません。その覚悟がなければ、スリリングなプールなどつくってはならないと思います。
 
機械装置や設備の設計では、フェイルセーフ(fail safe )という原則があります。故障や操作ミス、設計上の不具合などの障害が発生することを予め想定し、それが起きた際の被害を最小限にとどめるような工夫をしておくという設計思想です。
 
つまり、万が一、蓋が外れて子供が吸い込まれそうになっても物理的に体が入って行かないような構造にしておくのが安全設計の常道なのです。
 
新聞の事故状況図によれば、プールの吸水口は、直径が60cmで、その先は直径が30cmの吸水管につながっています。直径が 15cm のパイプを4本使用して流量を確保するとか、吸水口を入ったすぐの所に、例えば、丸に十の字の格子を取り付けて置くとか、いろいろ考えられます。
 
誤解がないようもう一度述べます。ずさんな管理を弁護しているのではありません。管理以前の問題として、今回のプール事故の本質は、『ものづくりの有り方』にあると言いたいのです。
 
そして、ずさんな管理という視点からさらに踏み込んで事故の本質を取り上げて報道したニュースや番組があったでしょうか。マスコミには、ことの本質を見極めた視点、論点に立った報道を望みたいものだと思います。
 

2006.08.09 
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