♪美しき天然
おやじの歌
昭和の町 − 大分県豊後高田市
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昭和30年代の子供の頃、それは祖母や母が割烹着をきてホウキやハタキで掃除していた時代でした。縁側には足踏みのシンガーミシンが置いてあり、トランジスタラジオからは昭和歌謡が流れていました。決してまだ豊かな時代ではなかったけど、テレビやスクーターや耕運機などの普及が始まり、右肩上がりの高度成長時代へのきざしが見えてきて、日本中に明るさと元気があふれ始めていた時代でした。昭和の時代に別れを告げて今年ではや15年目。昭和のそんな時代を懐かしく思うときがあります。胸を焦がすような昭和30年代のモノや町や人を再現しようとしているところが大分県にあります。国東(くにさき)半島の付け根に位置する豊後高田市です。小倉から特急ソニックに乗って約1時間、宇佐駅で下りでバスにのって約20分で豊後高田に着きます。「昭和の商店街」「昭和の街角」「昭和の暮らし」の3つのページに分けて、アップロードしました。下のメニューバーで切り替えてご覧下さい。                                    (旅した日 2003年5月)
                                    
昭和の暮らし
「駄菓子屋の夢博物館」のある旧高田農業倉庫の別の倉庫では、昭和の家庭用品や農機具などが展示され、小学校の教室を再現したセットが設置されていました。それらは、昭和の暮らし振りを物語る貴重な文化財になるつつあるように感じました。
家庭用品
昭和24年生まれの本HPの制作者にとっては、みんな覚えのある懐かしいものばかりです。手回しハンドルの付いた洗濯機もあります。この洗濯機が使用されたのは短期間だけだったと思います。
臍風呂(へそぶろ)(写真左) 家庭用の風呂のはしり。燃焼施設を桶の下側にはめ込んだ風呂であり、玄関左の縁側などに設置したそうです。
小学校の教室
木製のロッカーや三角定規、紙芝居の道具なども置いてあります。掛図から当時の学習内容などがうかがえます。
紙芝居
戦前・戦後の紙芝居のヒーロー「黄金バット」(写真右) 黄金バットの紙芝居の登場は昭和5年頃です。その後、昭22年に少年画報に登場、少年キングにも連載されました。古代アトランティス大陸の遺跡で一万年の眠りから蘇ったミイラ、それが黄金バットでした。ひびの入ったむき出しの頭蓋骨にマントをひるがえし、「ワハハハハハハ」と高らかに笑いながら悪者と戦っていました。
農機具
俵編み機(写真上左)、足踏み脱穀機・千把扱き(せんばこき)(写真上右)、水田ハロー・飛行機もうが(写真下左)、鍬(すき)(写真右)のほか、昭和初期の頃のいろいろの農機具が展示されていました。農家に生まれ育った本HPの制作者にも、覚えのある農機具でした。
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