♪ミ・ファボリータ
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旅行記 ・トレド − スペイン(7)  2011.07
古都トレド
(世界遺産)
スペインの観光地で一番人気の風景といわれるトレド旧市街地の眺望。川はタホ川 拡大画像
雰囲気のある路地
560年アタナヒルド王はトレドに遷都してキリスト教国家が誕生、およそ 200年間統治を行いました。トレドでは、400年に第1回トレド教会会議が開かれましたが、西ゴート時代にもたびたび教会会議が開かれ、これによりトレド司教座の権威が高まり、イベリア半島全体の首座大司教座となりました。711年、ウマイヤ朝によって征服され、イスラム支配下に入りましたが、1031年に後ウマイヤ朝が崩壊すると、タイファ諸国(分立するイスラム教諸王国)の1つトレド王国の領域となりました。しかし、キリスト教徒がレコンキスタ(国土回復運動)』を展開してくると、カスティーリャ王国によりトレドは降伏し、アルフォンソ6世がトレドに入城しました。
  トレドの歴史 
トレド(Toledo)は、マドリードから南に71kmの距離にあるスペイン中央部の都市で、タホ川に面しています。カスティーリャ=ラ・マンチャ州の州都で、トレド県(人口約60万人)の県都。かつての西ゴート王国の首都であり、中世にはイスラム教・ユダヤ教・キリスト教の文化が交錯した地でした。紀元後4世紀後半になってローマ帝国の力が行き届かなくなるとともに、ゲルマン民族(現在のドイツ北部・デンマーク・スカンジナビア南部地帯に居住していたインド・ヨーロッパ語族)の大移動が起きます。ゲルマン民族の大移動に伴って南下してきた西ゴート族がローマを占領後、南フランスに西ゴート王国を建国( 415年)し、イベリア半島も制圧。
聖体祭のために張られた天幕
トレド大聖堂。市庁舎から撮るも大きくて入り切りません。
大聖堂広場へあと一息
12世紀から13世紀、『トレドの翻訳グループ』と呼ばれる学者が活躍しました。イスラム教徒、ユダヤ教徒、キリスト教徒の共同作業によって、古代ギリシア・ローマの哲学・神学・科学の文献がアラビア語からラテン語に翻訳されました。この成果が中世西ヨーロッパの12世紀ルネサンスに大きな刺激を与えたといわれます。トレドは鉄製品、特に剣の生産で有名となり、現在でもナイフなど鉄器具の製造の中心地となっています。
『町全体が博物館』と言われ、タホ川に囲まれた旧市街は世界遺産に登録されている。また、ルネサンス期のスペインを代表するギリシア人画家のエル・グレコが活躍した町としても有名。1577年頃からトレドに定住し、1614年に没するまで数々の傑作を残しました。サント・トメ教会(14世紀にモスクが改装されて造られたキリスト教教会)には、グレコの最高傑作といわれる絵画『オルガス伯の埋葬』が所蔵されています。
この通りを抜けると大聖堂広場です
大聖堂前の広場に面してあるトレド市庁舎。振り向けば大聖堂です。
中世さながらの路地
1226年、カスティーリャ王フェルナンド3世時代に建設が始まり、カトリック両王時代(両王とは、アラゴン王フェルナンド2世とカスティーリャ女王イサベル1世のこと)の1493年に完成しました。その構造は13世紀のフランスゴシック様式の影響を大きく受け、ブールジュのサン=テチエンヌ大聖堂を模したとされる。しかし、ムデハル様式(残留イスラム教徒の建築様式とキリスト教建築様式が融合したスタイル)など、スペイン独自の特徴が加わっています。
   
    トレド大聖堂
トレド大聖堂(サンタ・マリア・デ・トレド大聖堂)は、スペイン・トレドにあるカトリックの大聖堂で、世界でも大きさで、サン・ピエトロ大聖堂(ローマバチカン市国)、セント・ポール大聖堂(ロンドン)に次いで、スペインセビリアの大聖堂と世界3位を競っている大聖堂です。全高120mで幅が59m。現在、トレド大司教座が置かれています(トレド大司教は、スペイン・カトリック教会の首位聖職者とされています)。
 南部のアンダルシアと異なって空には雲が・・・
中世を彷彿とさせる建物に挟まれた通りをすっぽり覆う天幕
石造りの窓から通りを見下ろす聖職者像
  サント・トメ教会
レオン王国の王(在位1065〜1109年)およびカスティーリャ王国の王(在位1072〜1109年)だったアルフォンソ6世が建造、14世紀にオルガス伯爵により再建。ムデハル様式の鐘楼があるほか、エル・グレコの代表作『オルガス伯爵の埋葬』を所蔵。大聖堂から5分足らずのところにあって、そう大きくない教会ですが、『オルガス伯爵の埋葬』を観るために多くの観光客が押し寄せているそうです。
  聖体祭
聖体祭は、カトリック教会の聖体崇敬を示す祭日の一つで、普段は大聖堂の宝物室に保管されている聖体顕示台大聖堂の外に持ち出され聖体行列でおひろめされるそうです。金銀・宝石を散りばめた豪華なみこし(聖体顕示台)が中世さながらの街並みを行進します。そのみこしがパレードする通りの上には、白い布の天幕が張られます。今年(2011年)の聖体祭の日は6月23日(木)で、そのときの祭りで張られた天幕がまだ残っていました。
サント・トメ教会
サント・トメ教会。『オルガス伯の埋葬』は入口を入ってすぐのところに展示されています。
 
『オルガス伯の埋葬』 
エル・グレコの最高傑作といわれるこの絵画は、サント・トメ教会の教会司祭の依頼によって、1586年から1588年にかけて描かれた大変大きな作品(360cm×460cm)で、サント・トメ教会の壁面一面に張り付けられるように飾られています。画面上は天界と現世に明確に上下分割されています。上半分の天界には、オルガス伯爵の霊魂を迎えようとするイエス・キリストと天界の様子が、下半分の現世には、騎士たちに見守られ聖ステファノ(左)と聖アウグスティヌス(右)によって埋葬されるオルガス伯爵が描かれています。オルガス伯爵は信心深い篤志家で、正義感に満ちた騎士であり、サント・トメ教会の拡張、内装のために多額の遺産を残した人でした。下半分の現世には、エル・グレコ本人と息子も描かれています。二人の聖人を指差す画面左下の少年がグレコの息子で、ポケットに見えるハンカチにはグレコの本名と息子の生年である1578年という文字を確認することができます。一方、聖ステファノの顔の上に描かれている正面を見ている人物が画家のグレコ自身であるといわれています。拡大画像をご覧下さい。      
 (画像とも Wikipedia より)
エル・グレコ 『オルガス伯の埋葬』 拡大画像  
サン・マルティン橋へ下りて行く途中の風景
サン・マルティン橋の要塞門
タホ川という自然の要塞に守られた旧市街地へ出入するには橋を渡ります。西の方に掛かっているこの『サン・マルティン橋』は堅牢な石橋になっていて、要塞と門による二重の防御が備えられています。景観的に美しく人気のあるこの橋は、13世紀の建造で14世紀に改築され、今でも勇壮な姿を見せてきれています。
アーチの景観が美しいサン・マルティン橋。この橋を渡った袂(たもと)でバスに乗車して帰りました。
【参考サイト】
(1) トレド - Wikipedia

(2) トレド大聖堂 - Wikipedia
(3) オルガス伯爵の埋葬 - Wikipedia
 
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