♪無言歌(フォーレ)
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杵築〜坂道の城下町 − 大分県杵築市
                        
 大分県国東(くにさき)半島のちょうど南の付け根に位置する人口2万3千人の杵築市は、『坂道の城下町』といわれます。市内を西から東へ八坂川と高山川の2つの川が流れ、守江湾に注ぎ出て、守江湾はさらに別府湾へ広がっています。2つの川に挟まれた土地は、北側の北台と南側の南台の2つに分かれた小高い台地になっていて、それらの台地にはかつて武家屋敷が配置されていました。北台には大原邸や磯矢邸、杵築藩時代の藩校「学習館」の門などが、南台には中根家の屋敷などが残されていて、ここかしこに旧藩時代の雰囲気を伝えています。北台と南台に挟まれた細長い谷間が商家街になっています。そして、ちょうど八坂川が守江湾に注ぎ出る河口の北岸は、ここもまた高台で、その突端にこじんまりした杵築城が置かれています。城と武家屋敷、北台と南台、そして商家街。それらの間を往来するには、どうしても坂道は避けられません。坂道の上り下りは、杵築の人々の日常そのものなのです。馬や駕籠(かご)かきの脚に合わせて設計がなされたといわれ、坂道は緩やかで、ていねいに敷き詰められた石畳の造形が美しいです。訪問した日は日曜日で、団体客がありましたが、観光客がどっと押し寄せてくるほど観光化はされておらず、民家に溶け合って武家屋敷は静かに佇(たたず)んでいます。杵築は、ゆっくりと流れる時間のなかで、いにしえの雰囲気に触れながら、気心の知れた人と散策するのにもってこいの城下町です。 
                                                           (旅した日 2003年10月)


北台武家屋敷 城下町杵築を代表する武家屋敷である大原邸を中心に、天明5(1785)年設立の藩校『学習館』の藩主御成門、元治元(1864)年建築の家老加藤与五右衛門の屋敷である磯矢邸のある北台武家屋敷。道の両脇に昔ながらの土塀が続いていて、いかにも武家屋敷らしい雰囲気を醸(かも)し出しています。


大原邸 杵築藩家老を勤めた大原家の屋敷。藩の御用屋敷として使用されたときもあるようです。屋根は寄棟造草葺きですが、入母屋造りの屋根を正面に見せた式台を構え、格式の高さを示しています。母屋東には廻遊方式の庭園があります。現在でも定期的に土間で火が炊かれ、草葺きの屋根をいぶして保存の努力が続けられています。


藩校の門と磯矢邸 藩校の門(写真左下)は、杵築藩「学習館」の門で藩主御成りの門。天明5年(1785)に設立にされたものです。200年の風雪に耐え、その格調高い立つ姿は今なお健在です。磯矢邸(写真右上・下)は、御用屋敷(藩主の休息所)に使われたこともある武家屋敷。瓦や柱には、元治元年(1864)当時のものが残っているといわれています。

酢屋の坂 北台武家屋敷から南台武家屋敷に通じる石畳の坂道。坂道の城下町・杵築を代表する光景の一つです。この坂を下りきると谷町商店街。その角の織部味噌店(写真左上)の前身が酢屋だったことからそう呼ばれ始めました。左下の写真で手前が『酢屋の坂』、向こうが『志保屋の坂』。志保屋の坂を登って南台武家屋敷へ至ります。

勘定場の坂 勘定場の坂(写真左上・右上)は、北台武家屋敷をいったん下りて、その約500m先にある杵築城へ至る道にある坂。土塀と石畳がとても美しい。馬や駕籠(かご)かきの脚に合うように設計されているといわれています。番屋の坂(写真左下)は、北台武家屋敷への北から登る「北浜口番所」のあった坂。写真右下は、志保屋の坂の石畳。


谷町の商家 北台と南台の2つの高台に挟まれた谷町の通りは商店街です。古い商家が建ち並らび往年の佇(たたず)まいを残しています。酢屋の坂の登り口にある織部味噌店(写真下)では、手作りの味噌の醸造が今も続けられています。





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