レポート  ・町を救った市長の一気飲み   
− 町を救った市長の一気飲み −

ドイツ南西部の中央に位置するローテンブルクは、周囲を全長3.5kmの城壁にぐるりと囲まれた、中世の面影を今なお残す町で、中世の宝石と呼ばれています。


ドイツを舞台としたカトリック(旧教)対プロテスタント(新教)の宗教戦争、いわゆる30年戦(1618〜1648)でブロテスタント側についたローテンブルクの町は、1631年10月、カトリック側の連盟軍、ティリー将軍の率いる3万の兵に包囲され占拠されます。


女子、子供までが戦いに加わって抗戦し、連盟軍に大きな損害を与えたといわれます。このことに腹を立てたティリー将軍は、市会議員の全員を処刑し、町を焼き払うという決定を下ました。


ローテンブルクの人々はマルクト広場に集まり、ティリー将軍に皆の命ごいをしますが、将軍は受け付けません。そこで、将軍の気持ちをやわらげようとワイン管理人の娘が地元の美酒、フランケンワインを町の宝である選帝候の大杯についで将軍に差し出しました。


美酒に酔いしれた将軍は、機嫌を良くし、この大杯のワインを一気に飲み乾すものがいたら、特赦しようという思い付きを言い出しました。


それを受けて立ったのが、時の市長だったヌッシュ氏でした。市長は将軍に念を押します。「私は43才、今日ここで死んでもいい。でも、将軍、あなたは必ず約束を守ってくれますね。私がこの大杯のワインを飲み乾したら、市会議員の処刑も、町も焼き払う決定も取り消してくれますね」と。


約束を取り付けるとヌッシュ市長は、今度は民衆に向かって、「諸君!、これまで市参事会で、ことあるごとに飲んできたのはダテじゃない。今日はこの町のために飲もう!」と叫びました。


そう言い終わると市長は、しっかりと足を踏ん張って、10分間で3.25リットル入りの大杯を見事に飲み乾したそうです。こうして町は救われました。市長はその場に倒れてしまい3日間眠り続けましたが、その後37年間健在で80の長寿を全うしたそうです。


この一気飲みの故事にちなんで、1910年に設置されたのが、ローテンブルク名物「マイスタートゥルンク(市長の一気飲み)の仕掛け時計」です。


その仕掛け時計は、市参事宴会場(Trinkstube)のマルクト広場(Marktplatz)に面した切り妻部分に設置されていて、定刻(11、12、13、14、15、21、22時)になると時計の右にある窓からヌッシュ市長の人形が、左にある窓からティリー将軍の人形が現れ、将軍がラッパを吹くとそれに応えて市長が手にした大杯を口に傾けます。


ただそれだけの、人形もさほど大きくない仕掛け時計ですが、定刻になると何処からともなく人が集まってきて、毎日たくさんの観光客を呼び寄せているそうです。ローテンブルクを訪問されたときには是非ご覧下さい。


【備考】
『旅行記 ・中世の宝石〜ローテンベルク − ドイツ』が参考になります。
→ http://www.washimo.jp/Trip/Rothenburg/rothenburg.htm

2004.05.12  
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