雑感  ・かわいい子には旅を   
− かわいい子には旅を −



迷惑を顧みず車内で携帯電話(ケータイ)を使って会話、平気な顔で電車内で化粧、夏なのにルーズソックスを履き、靴のかかどを踏みつぶして歩く、ところかまわず地べたにあぐら座り。気鋭のサル学者(京都大学霊長類研究所教授)・正高信男(まさたか のぶお)氏は、このような風潮の若者たちのことを「ルーズソックス系」と呼んでいます。


同氏の著書『ケータイを持ったサル』(中公新書、2003年9月初版、187頁、¥700)は、多くの示唆を与えてくれます。サルが携帯を持った話しではありません。日本人は「人間らしさ」を捨てて、サルに退化し始めているのではないかと著者は言います。
         → http://www.washimo.jp/BookGuide/BookGuide4.htm



家(うち)のなかと外

私たち人間は、家族を形成して生活しています。このことは、生活空間を、情緒的な結びつきを互いに求める私的な領域、つまり「家(うち)のなか」と、ひとりひとりが社会のなかで一個人として交渉をもつ公的な領域、つまり「家の外」に二分していることを意味しています。


自室に閉じこもって「家の外」へなかなか出ようとしないのが「ひきこもり系」です。正高氏は、ルーズソックス系も本質的には「ひきこもり系」と同じだと言っています。彼らは、公共の場も自室のような感覚でくつろぐことによって、公共の場に出ることを拒否している「家のなか主義」だと言うのです。



サルの子育てと生活世界

サルの子育ては、母子関係がとても濃厚で、母親は子供が生まれてから2年間ほとんど肌身離さずわが子を抱いて育てるそうです。しかも、子どもが少しでも泣くと、すぐに乳首をくわえさせて、頻繁に授乳します。


そして、サルは、その一生のほとんどを自分の親、きょうだい、子どもなどの、自分が生まれ育ったままの集団の中で過ごします。つまり、サルの生活世界には、ほとんど「家の外」の領域というものがなく、サルは一生を「家のなか」で過ごせば良いのです。日本人が、サルに退化し始めていると言うのは、「ルーズソックス系」の若者たちの「家のなか主義」志向のことを言っているのです。



「よい子」を育てる日本の保育

今日のわが国は、経済的に豊かになったうえ、極端な少子化社会のため、生まれてくる子どもは、手厚い保護のもとで育てられるようになり、サルの子育てのように母子関係が濃厚になっていると言うのです。「自分の行動を決める際に、母親の考えや言動に影響を受けやすい心的な傾向」のことを「マザコン」といいますが、最近は、マザコン傾向が強いというわけです。


そして、日本のしつけや保育において、重視されるのは「思いやり」を持つこと、「すなお」であること、周囲と「協調する」こと、つまり「よい子」になりなさいということです。アメリカのように「自尊心を持つ」とか、「正義」といったことは優先度が低いと著者は言います。ある調査によると、アメリカの子どもは日本の子どもと比較して、攻撃性や不安の度合いが高いそうです。つまり、日本の幼児はそれだけ、周囲とうまくやっている理想的な「よい子ども」だということです。



自我の芽ばえるころに

思春期、それは、何らかの形で「自己実現」を達成したいという思いが芽生えるころです。自己実現を達成するには、「家(うち)の外」へ出かけて行かなくてはなりません。しかし、「家の外」には、「家のうち」と違って、軋轢(あつれき)がありまする。軋轢が挫折(ざせつ)を生みます。挫折した自分、あるいは思うように自己実現ができない自分を自ら否定する態度を取ると「ひきこもり系」へ向かう確率が高く、自分に非があるわけではないと徹底的に居直れば、「ルーズソックス系」に属するようになると著者は言います。


「ルーズソックス系」と「ひきこもり系」の中間に位置する中間型も無数に存在すると著者は言います。その典型が「パラサイトシングル」です。成人したのちも親もとから離れず、衣食住を親に依存したまま日々を送る。自分で独立して「家を構える」姿勢の欠落した人たちです。


【注記】
軋轢(あつれき)=人の仲が悪くあい争うこと。不和。車がきしることからきている。
パラサイトシングル(Parasite singel)=パラサイトとは、寄生虫のこと、転じて
       「食客、いそうろう」などの意味。シングル(singel)は独身のこと。



かわいい子には旅を − 自立心を育む

『ケータイを持ったサル』は、第六章までありますが、以上が第一章の内容の要旨です。では、どのように子育てをすれば良いのか? 若いお父さん、お母さんたちは悩むかも知れませんね。まさか「思いやり」のない、「すなお」でない、「協調性」のない「悪い子」に育てなさいということではないでしょう。


わが国には、「かわいい子には旅をさせろ」という格言があります。アメリカの歴史は、西部開拓の歴史でした。それは、危険を伴う旅の連続だったでしょう。だから、攻撃性や不安の度合いの高い子育てや、「自尊心を持つ」とか、「正義」を重視した子育てが伝統として培われてきたに違いありません。


農耕民族であるわが国では、古来からわざわざ危険を冒して旅をする必要がありませんでした。自然環境に恵まれた土地に定住し、土地を耕して農作物を作れば良かったのです。毎年毎年四季が廻ってきてくれるのです。大切なことは、「和を以(もっ)て貴(とうと)しとす。忤(さか)うること無きを宗(むね)とす。」(17条の憲法)でした。日本民族は、もともと争いごとを好まない平和主義者というのが、伝統的な体質ではないでしょうか。


しかし、何ごとも「過ぎたるは及ばざるがごとし」です。「和」も度を過ぎたぬるま湯体質の中では人材が育たない。だから、わざわざ「かわいい子には旅をさせて、自立心や独立心を身に付けさせなさい」と言っているのでしょう。手厚い保護のもとで養育してやる、その方がむしろ楽な今日の子育て環境の中で、強いてわが子に『どのような旅をさせてやるか』ということではないでしょうか。


実際に、「わが子に旅をさせなさい」ということではありません。ものごころ付いた頃から、日常生活の中で旅をさせられないでしょうか? 例えば、自分の服のボタンは自分で取り外しさせるとか、自分の洗濯物は自分でたたませるとか。自分の部屋の掃除は自分でさせるとか。家事の手伝いを分担させるとか。そして、学校教育や社会教育でも、どのような旅をさせて自立心や独立心を育むか、教育関係者の、子を持つ親の、そして地域社会の「知恵の見せどころ」のように思います。



2004.02.19  
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