雑感  ・ストッパ   
− ストッパ −

機械は、安全装置に特段の注意を払って設計されます。例えば、ハンマーやポンチを振り下ろして空き缶などを潰(つぶ)すプレス機械を考えてみましょう。保守や点検のとき、人間がその機械の中に手を差し込んだとします参考図の図1
参考図を見る→ http://washimo-web.jp/Information/stopper.htm 〕


このとき、だれかが誤って押しボタンスイッチを押してしまったら、その瞬間に機械が起動して、ポンチが振り下ろされ、手を潰すしてしまいます図2


そこで、万が一間違って押しボタンスイッチが押されても、ポンチが降りてこないような安全装置が取り付けられます図3


まず、機械に人間が手を差し込んだら、それをセンサで検出し、押しボタンスイッチを押してもスイッチが入らないような制御装置が取り付けられます。ある条件が成立しているときには、ある動作が実行されないように電気的に制御することをインターロックと言います。


しかし、インターロックで事故を完全に防げるとは限りません。もし、センサが壊れていたらどうでしょう。電気配線が外れていたらどうでしょう。制御装置が故障していたらどうでしょう。そんな場合には、事故を防げる保障がありません。


そこで、ストッパを取り付けます。図3に示すように、どんなことがあってもポンチが落ちてこないように、鉄の棒を差し込むのです。すなわち、ポンチが落ちてくるのを、「物理的(機械的)」に拘束するのです。このように、ある動作を物理的に拘束する機能のことをストッパと言います。


さらに、鉄の棒を差し込まないと、人間が柵(さく)を開けて機械の中に入って行けないようにします。このように機械装置は、何重にも安全対策が施され事故が起きないよう設計されています。


さて、私たちの社会や日常生活の安全装置はどうでしょうか。一例として、交差点のことを考えてみましょう。信号が赤になったからといって、電気的にインターロックが作動して車のスイッチを切ってくれるわけではありません。ましてや、道路の下からストッパが現れて、車の進行を物理的に拘束してくれるわけでもありません。踏切の遮断機だって、ストッパにはなり得ません。信号や遮断機は、止まりなさいという信号を発しているだけです。


機械の安全装置に比較して考えると、私たちの社会や日常生活の安全装置はなんと頼りなく思われることでしょうか。それでも、私たちは信号が青になったら、堂々と横断歩道を渡ります。


それは、人間一人ひとりが、ルールやモラルを遵守する意識を持っていて、機械装置の鉄の棒と同じぐらいの確かさで車を止めるからです。言わば、心のストッパと言えるでしょう。


ルールやモラルを遵守しようとする意識は、人に危害を加えたり、ルールを破ることの恐怖心やそのことで自分が被(こうむ)る不利益に立脚する自制心や、さらには人間としての自尊心に基づいています。


自制心や自尊心の欠如(けつじょ)は、心のストッパに不具合を招き、悲惨な事件や事故、迷惑行為を起こしかねません。


日常生活や社会の安全装置として、物理的(機械的)なストッパを設置することは技術的に難しいばかりか、人の行動を物理的に拘束するということは、自由や基本的人権の蹂躙(じゅうりん)につながります。また、銃社会の銃による抑止力や刑罰強化による抑止力もいやです。いかに、自制心や自尊心が大切なことでしょうか。


子供たちが興じるテレビゲームは、敵を倒す(殺す)ものが多いようです。だからと言って、「最近の子供たちは、バーチャル世界と現実の区別が付かなくなって、人に危害を加えることの恐怖心が希薄になってきているのではないか」と言う論議は、早計な気がしますが、多様化する社会にあって自制心や自尊心を養う教育のなお一層の大切さを思う今日この頃です。

2004.11.24  
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