雑感  ・見えなくなった子供たち   
− 見えなくなった子供たち −

『15歳以下セックス禁止令』が今話題になっています。2002年に都内の教師らが実施した調査によると、中学3年の性交経験率は、男子6.8%、女子8.7%に上っているそうです。


そこで、石原慎太郎都知事が、『保護者らは安易な性行動をさせないよう努めなければならない』という罰則のない規定を、現在推進中の「都青少年健全育成条例」に設ける構想だというのです。


「ここと今と個人と 〜 海からの贈物を読んで(1)」と題する雑感で、『自分の、自分の家族の、自分の子供たちの内部へ向かって、問題を問いかけ続けることが出発の原点であると思う』と書きました。


しかし、子供と向き合うと言っても、今や子供たちの日常の文化となった露骨なセックス描写のまんが本やティーン雑誌の回し読み、インターネット上でのチャット、出会い系サイトやアダルト系サイトの閲覧や利用、携帯による電話やメールの活用などの内容を、親たちはどれだけ知っているのでしょうか。


携帯電話やインターネットの普及は、家の内と外の垣根を無くしました。家の内にいながら家の外にいる人と情報交換や意思疎通が簡単にできるようになりました。そういう意味では、家にいても外にいるようなものです。


子供たちは、子供たち独自のチャンネル(情報を得たり、意思を伝達したりする道筋)を持つようになったのです。昔は、子供たちが大人の社会と繋(つな)がりを持つとすれば、それは親を通じてでしたが、今日、子供たちが持っているチャンネルは、大人の社会の暗部の部分とも容易に繋がりを持てるチャネルです。


親たちは、その中に立ち入りできないばかりか、子供たちが日常駆使しているIT技術に、ついてさえ行けない状況です。すなわち、子供たちが見えにくくなりました。


子供たちが、親の監視のみならず親の保護や庇護(ひご)から解放されつつあるとも言えるのではないでしょうか。親として真っ当に働き、真っ当な家庭を築き、子供と真っ当に向き合うとしても、子供たちを真っ当に保護し、庇護しにくくなってきています。親はどうすれば良いのでしょうか。子供を信じなさい、子供の自主判断を信じなさいということでしょうか。 


考えて見れば、携帯電話やインターネットを作り出したのは、子供たちではありません。出会い系サイトやアダルト系サイトの運営も大人(親)たちがやっていることです。『安易な性行動ができる、あるいは安易な性行動をさせるような環境を子供たちに提供しておきながら、安易な性行動をさせないよう努めなければならない』ということです。


大人(親)たちが、そのような環境を子供たちに提供せざるを得ないのなら、子供が物心ついた時点から、その功罪について、しっかりと理解させる努力を払い続けることが、家庭にあっても、学校教育や社会教育にあっても必要ではないでしょうか。


成熟した社会とは、子供であってもある一定の価値観が必要とされる社会ではないかと思います。今、我々は、成熟した社会へ向かいつつある過程にあるのだと思いたいものです。

2004.11.03  
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