雑感 | ・蚊帳の外 |
− 蚊帳の外 −
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『エントロピー増大の法則』という法則があります。箱の中に閉じ込めた煙は、ふたを開けると空中に拡散して行きます。整理した部屋もそのうち散らかってきます。温度の高いエネルギーは、冷えて低級なエネルギーへ劣化します。生き物は滋養のある養分を摂取しないと死して土と化します。 何ごとも、規則正しい状態(エントロピーの低い状態)は、放っておくと不規則な状態(エントロピーの高い状態)に移行するという法則から逃れることはできません。生きるという営みや人間の社会的活動は、増大しようとするエントロピーを低い値に留め置く、あるいはより低い値に移行させ続ける行為に他なりません。だから、生きるって、生活するってしんどいのです。 とりわけ、学校はエントロピーの低い場です。だから、その分崩れ易い。昔の先生は、時にはカミナリ(叱りつけること)やゲンコツ(拳骨)を落とすことによって、学校の形というものを維持してきました。 しかし、今日、カミナリやゲンコツを落とすことは許されません。それだけ成熟した社会になったということでしょう。であるとすれば、カミナリやゲンコツの代わりに必要なものは、子供たちの『自覚と自発性』です。必要なレベルの、子供たちの自覚と自発性がないことには論理的に考えて、学校の形というものの維持のしようがありません。 本質的なことは、では『どうやって子どもたちの自覚や自発性を育むか』ということです。このことは、家庭におけるしつけや教育のあり方と無関係ではありません。 学級崩壊やいじめ、いじめを苦にした子供たちの自殺。今、学校が荒れています。教育委員会がいじめの実態を隠蔽したり、先生がいじめに加担するなど言語道断のことですが、『学校側』対『父兄側』という構図を作り上げ、学校側をセンセーショナルに吊るし上げるマスコミの一辺倒の報道の有り方は、学級崩壊やいじめの当事者である子供たちの自覚や自発性の問題はどうなっているのかという本質的な問題を蚊帳の外に追いやっていやしないでしょうか? 学校と父兄がそれぞれの立場で、子供たちの自覚や自発性をどうやって育むかを考えながら、子供たちに問いかけ語りかけ、一緒になって考える雰囲気や風潮を作らないと、ただ『学校が悪い、教育委員会が悪い! どうしてくれるのだ!』の一辺倒では、学級崩壊やいじめの当事者である子供たちまでが、本当にそう思ってしまうことになりはしないでしょうか。 そんなことは分かり切った当たり前のことだ、正論にはニュース性がないということで、ニュース性のある側面だけをセンセーショナルに報道するということであれば、マスコミの影響はあまりに大きすぎると思われます。 |
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2006.11.01 |
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