レポート  ・鹿の子百合   
− 鹿の子百合 −
南九州は、梅雨明け以来、酷暑の毎日が続いています。そんな中で我が家には今、庭の低木に混じって、鹿の子百合(カノコユリ)が咲いています。
 
カノコユリは、九州、四国の山地の崖などに自生する日本の固有種で、白地に紅色の斑点が鹿の子絞りのようにつくことからその名があります。
 
薩摩半島の西海岸から 50〜60km の洋上に甑(こしき)島という島があります。正確には、上甑島、中甑島、下甑島からなる列島で、約 8,000人の人々が住んでいます。
 
・カノコユリと甑島を写真で確認する。
  → http://washimo-web.jp/Information/kanokolily.htm
 
甑島は、カノコユリの原産地として知られる島です。あちこちの断崖に自生していて、そのピンク色の花は、南国の青い海によく映えます。カノコユリには、自生地により甑島型、長崎型、高知型などがあるそうですが、甑島原生種は、花弁が大きく反り返るのが特徴で、芳香があります。
 
              ***
 
私たちのまわりには、昔からヤマユリやオニユリ、鉄砲ユリなど、いろいろの色や形のユリの花がありました。日本はユリ大国で、日本にある約15種のユリのうち、半数が日本にだけ分布する特産種であり、加えて観賞価値の高い種であることで知られています。
 
一方、ヨーロッパでは、地中海沿岸に純白の自生種が数種みられるだけで、しかもマドンナリリー以外は観賞価値が低く、ユリは人々の興味を引く花ではなかったようです。19世紀に、ヨーロッパのプラントハンターたちが、日本や中国、朝鮮などの原産種を紹介するようになってから、注目されるようになりました。
 
長崎オランダ商館付医師として日本にやってきたシーボルトは、日本の多くの文物をヨーロッパに持ち帰り、「Nippon」、「日本動物誌」、「日本植物誌」などを著し、日本ブームの火付け役になりました。とりわけ、日本固有の植物に関心を示し、藤や桐、紫陽花、ケヤキや木瓜(ぼけ)、アケビの花などをヨーロッパに持ち帰りました。
 
その中に、スカシユリとカノコユリが含まれていました。シーボルトは、持ち帰った球根から見事なユリの花を咲かせてみせて、ヨーロッパの人々を驚かしたそうです。特に、カノコユリは、その花の色や花弁が反り返る形がヨーロッパ人の好みに合致し、絶賛されました。
 
ユリの女王と言えば、純白の大輪で世界的な人気品種となっている『カサブランカ』でしょうか。カサブランカは、オリエンタルハイブリッドと呼ばれる系統のユリですが、この系統は、ヤマユリやサクユリ、カノコユリなどの日本の固有種を主体にして改良された園芸種です。
 
古来ユリは鑑賞用というより、食用として中国から伝来したものと考えられ、日本にはユリ根を食する文化があったようです。福井県では、縄文時代前期の土器の中からユリ球根が発見されているそうです。鑑賞用にさまざまな品種が作られるようになるのは江戸時代になってからです。
 
そして、明治時代になると球根がイギリス、アメリカ、ドイツ、オランダなどに輸出されるようになりました。昭和12年(1937年)のピーク時には、年間4000万球が輸出され、日本の重要な貿易品であったと言われます。輸出は戦後まで続きました。
 
              ***
 
甑島では、江戸時代と明治時代に大飢饉が起きた際には、ユリ根を食べて餓死を凌ぎ、戦後は、中華料理の材料や観賞用として球根輸出が再開されて、村民の暮らしと経済を立て直したそうです。
 
薩摩川内市本土南端のちょっと海に突き出たところに寄田(よりた)という地区があります。この寄田地区には、明治17年(1884年)頃に襲った大飢饉の際、時の政府の移住施策により、甑島から集団移住した人たちが開拓した集落があります。
 
甑島を遠望できるその集落の田畑のまわりには、飢饉の際に自分たちを救ってくれたカノコユリが植えられ、現在でも夏になると可憐で穏やかな花を咲かせるそうです。甑島は、2004年の平成の大合併で薩摩川内市となりましたが、新生薩摩川内市は、カノコユリを市の花に選定しました。
 
    ○ 碧海を覗き込みたる鹿の子百合 ワシモ
 
我が家に咲いているカノコユリの何株かは石垣からはみ出し、あたかも甑の海でも覗き込むかのような姿勢で下の道路を向いて咲いています。
 

2006.08.02 
あなたは累計
人目の訪問者です。
 − Copyright(C) WaShimo AllRightsReserved.−