コラム | 俳句鑑賞・稲光 |
− 俳句鑑賞・稲光 −
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極小にして簡素であることの美しさ。茶室は、二畳という極小の空間に無限の宇宙を見つめる文化だと言われます。俳句もまた、十七文字という極小の詩型でありながら、無限のイメージの喚起力をもっています。はっとする句に出会うと、そのことを実感します。俳句の醍醐味でしょう。 秋になると遠くの夜空に、雷光のみが走るのを見ることがあります。音も交えず、雨も降らさず、夜空を鋭く駆けます。稲光、すなわち、稲妻は稲の夫(つま)の意で、稲妻によって稲が実るという俗説から秋の季題となっています(角川書店編、合本俳句歳時記第三版より)。 稲光を詠んだ句に、桂信子(1914 〜 2004年)さんの句があります。はっとさせられた句の一つです。 いなびかりひとと逢いきし四肢てらす 桂信子 夜に帰宅して、もう床に就こうと消灯し、布団に腰を落とした瞬間、稲光が走ります。あらわになった四肢(しし、手足)が闇の中に一瞬浮かび上がります。今さっき人と逢(あ)いきし四肢は、まだ幾分ほてりを残しているかのようです。情景や作者の心情がいろいろと想像されます。寡婦36歳の作ということであればなおさらです。 桂信子(本名、丹羽信子)さんは、1914年(大正3年)大阪生まれの俳人で、2004年(平成16年)に90歳で亡くなるまで、戦後の女流俳句を常にリードされてきた方だったそうです。 10代で新興俳句のリーダー日野草城(ひのそうじょう、1901〜1956年)の句にひかれ、師事。1939年(昭和14年)に結婚しますが、2年後に夫と死別。一人自活しつつ多くの俳句を発表し、戦後もキャリアウーマンとして活躍しながら作句を続けました。 みずみずしい感性に基づく叙情的な作風で知られた俳人でしたが、若い頃には女性性を前面に出して大胆に詠んだことで知られています。上述のいなびかりの句のほかに、例えば、1948年(昭和23年)の作に、次の句などがあります。 ゆるやかに着てひとと逢ふ蛍の夜 桂信子 やはらかき身を月光の中に容れ ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき 1954年(昭和29年)に雑誌『女性俳句』を創刊し、鈴木真砂女や中村苑子とともに、女性俳句ブームにつながる土壌を作りました。会社を定年退職した1970年(昭和45年)に、俳誌『草苑』を創刊し主宰。1977年に現代俳句女流賞、1992年に第26回蛇笏賞、1999年に現代俳句協会大賞を受賞。 |
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2006.08.27 |
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