特集/金吾さぁ  ・京都浄福寺訪問記   
− 京都浄福寺訪問記 −
天正20年(1592年)、鹿児島市吉野町の竜ヶ水で自害して果てた金吾さぁ(島津歳久)の首級は、肥前名護屋城(佐賀県唐津市)にいた秀吉のもとに届けられ、首実験の後さらに京都に送られて一条戻橋にさらされました。
 
ところが、ちょうどその時期に、歳久の従兄弟に当たる島津忠長という人が京都に来ていて、大徳寺の玉仲(ぎょくちゅう)和尚と図って、市来家家臣にそのさらし首を盗みとらせ、京都西陣の浄福寺に埋葬したのでした。
 
それから 280年の永きにわたって首は浄福寺に埋葬されますが、明治5年(1872年)、歳久の末裔に当たる日置島津家14代島津久明が京都に上り、首を掘り起こし鹿児島に持ち帰り、一方、帖佐(鹿児島県姶良町)の総禅寺に埋葬してあった胴体も掘り起こし、一体にして、竜ヶ水の平松神社(心岳寺)に改葬しました。
 
実に 280年を経て、首と胴体が一緒に埋葬される状態に至ったわけですが、さらに大正の終わりか昭和の初め頃に、日置島津家の菩提寺だった大乗寺跡(現日置市日吉町)に改葬され、現在に至っています。
 
全体が朱色の門を持つ浄福寺は、赤門寺とも呼ばれています
 
京都に行ったら、是非浄福寺を訪ねたいと思っていたところ、2008年9月、京都に行く機会がありました。妻が一緒の旅でした。妻と同伴のときは、ホテルのブッキングはもっぱら妻任せ。妻がブッキングしたホテルは都合の好いことに、堀川通二条城前の京都全日空ホテルでした。
 
ホテルを出て堀川通りを1km足らず北上すれば一条戻橋です。歩いて行ける距離なので、11時のチェックアウトまでの時間を利用して一人で出かけました。一条戻橋の東は、数百メートルで京都御所の敷地。その北隣には、同志社大学今出川キャンパスがあり、浄福寺は、一条戻橋からわずか600〜700m 西に入ったところにありました。
 
なるほど、この距離なら、首を盗んで持ち去り、埋葬するのに都合が好かっただろうと思われる場所にありました。浄福寺は、境内に幼稚園もある広々とした天台宗のお寺で、全体に朱が塗られた門を有することから赤門寺と呼ばれ親しまれています。
 
観光寺院ではないので、静かな佇まいのなかに本来の京都らしい寺の雰囲気の感じられお寺でした。門前の通りは浄福寺通りと呼ばれ、織物が核になっている西陣の町屋が連なっています。
 
広い境内を隈なく歩き回っても歳久の由来らしきものは何も見当たらないので、社務所らしきところに訪いを入れてみると、年配のご婦人が出て来られ、このお寺は何代も住職が替わり、寺歴の記録もないので分かりませんとおっしゃいます。島津歳久の名すらご存知ない様子でした。
 
ただ、口伝えですが、入口の柱に残っている刀傷は、幕末にこの寺を宿舎とした薩摩藩の藩士たちが付けたものだと聞いていますと話して下さいました。お礼を言って入口を出るとき見てみると、なるほど柱に刀傷がありました。
 
南門から本堂を見る
 
ほとんど知られていないと思いますが、実は、司馬遼太郎氏の作品に、浄福寺の薩摩藩士のことを書いた『薩摩浄福寺党』という短編があるのです。
 
ちょうど、坂本龍馬の仲介のもと、薩摩藩邸の奥座敷で、薩摩側の代表、小松帯刀(たてわき)、西郷隆盛、大久保利通と、長州側の代表、桂小五郎、品川弥二郎らの間で、薩長連合の密談がなされている頃の、肝付又助という薩摩藩士のぼっけもん(向こう見ず)のことを書いた短編です。短編には次のようにあります。
 
『薩摩藩では、錦小路(現在・京都大丸裏)にふるくから藩邸があったのだが、これでは足りないため、現在の同志社大学のあたりに二本松藩邸を造営し、それでもまだ不足があったので、西陣の浄福寺の客殿、本坊などが借りあげられたのである。この浄福寺を寮としているのは二十人ばかりの下級藩士で、年も若く、妙に乱暴者ばかりがあつまった。自然たれがいうともなく、「浄福寺党」という異名で呼ばれた。』
 
幕末、薩摩藩士が付けたという刀傷
 
安政5年(1858年)の『安政の大獄』で追いつめられた西郷隆盛と僧月照は、鹿児島湾で小舟から身を投げますが、その際、西郷は月照に歳久の話しをし、自害の地に建てられた心岳寺の方に一排を求めた上で飛び込んだそうです。
 
また、往時の頃の祥月命日には、歳久の御遺徳と壮烈なる御最後を偲んで、鹿児島三大詣りの一つとして、『心岳寺詣り』が盛大に行なわれたといわれます。このように歳久は没後も永く、薩摩武士や薩摩の人々に深く崇敬されてきた人でした。
 
司馬遼太郎氏が島津歳久のことを知っていたのか知らなかったのか、短編で歳久のことは何も触れられていませんが、浄福寺党が寮にしていた頃、浄福寺にはまだ歳久の首が埋まっていたわけで、浄福寺党は浄福寺に格別の思い入れを持っていたに違いありません。歴史の因縁の妙というものを感じながら、寺を辞した京都浄福寺の訪問でした。
 

  2008.11.21 
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